ニッポン放送の飯田浩司アナが書かれた、「『反権力』は正義ですか」を読みました。
もともと、
飯田浩司アナのラジオ番組「ok,cozy up」は毎朝聴いていて、様々なコメンテーターが出演され、ニュースについて深く考えられるので、興味半分で買ってしまいました。
飯田アナは、
メディアにとって、反権力でいることはラクであると指摘します。
自ら挙証することなく、おかしい!と主張していればいいわけですから。
例えば、加計学園問題。
大体の論調が、ワーキンググループの議論の経緯を踏まえずに安倍総理の思惑が絡んでいる、という話に単純化されて、
安倍政権はおかしいんだ!信じられなんだ!と感情的な議論に終始しています。
自衛隊の議論も、
安全保障をどうするか?という議論が必要なのに、戦前の「軍靴」にとらわれて、
徴兵制だ!戦争だ!と感情的に一括りにされる。
本書では、日銀の金融緩和についても言及されています。
メディアは、
日銀に対して強く金融緩和の論拠は求めるのに対して、
金融引き締め政策については論拠はさして求めず、そうだよそれだよ!的な語り口に終始しがちと言います。
飯田アナは、メディア自身が導きたい方向性についてはなにも批判せず、違うと思ったものに対してだけ噛み付いているのではないか?と書いています。
そういう意味で、
メディアは思考停止に陥っているのではないか、と飯田アナは警鐘を鳴らします。
米軍基地問題など住民内部でも色々分かれる話を、基地に賛成か、反対か?で括ったり、
福島の被災地はいつまで経ってもまだ被災地らしく傷心している図を描きがちだったり。
※
被災地については、
以前、似たような話を書いてました。参考に。
「風化してはいけない病」
https://gm-fk20.hatenablog.com/entry/2019/01/14/215246
この本は、僕が思っていたことをすごく言い当てくれた気がしました。
メディアの責任は、権力を監視することではあるけれど、権力に反抗することではありません。
あくまでその目的は国民が民主主義の中で正しい判断をできるようにするためのものです。手段と目的が混同されてしまっています。
僕は、メディアももっと悩むべきだと思います。
例えば、
ある物事に対するスタンスは、一様じゃなくていいんじゃないでしょうか。
政権のいい政策もあれば、間違っている政策もある。一様に、「政権に疑問符がついている」とか、「退陣すべきだ」みたいな言いぶりは、ラクだと思いますけど、違う。
ここについては賛成ですが、ここの部分はちょっとおかしいから、こう思いますが、どうなんでしょうか?
みたいな、疑問符を投げかけるようなものでもいいと思います。
議論を単純化することには、メリットもあるけど、弊害も多いと思います。
今回のコロナをめぐる報道も、そうだと思います。
緊急事態宣言を
やるか、やらないか?
一部だけか、全国か?
とか。
給付を
10万円一律か?30万円の限定か?
とか。
そういった問題は、僕は二項対立でメリットデメリットで描かれるけれど、本当は、もっと複雑な話だと思います。
緊急事態宣言を出すときも、感染についてだけ責任があるのではなく、政府は経済状態にも責任があるわけで、そこの利益を比較衡量しています。
政府にとっては、単に感染者だけの問題ではありません。
また、給付問題も、
だれを救うか?どのスピードでやるか?といった実務面の問題もあれば、
財政的な問題、自治体の事務手続きの問題、また公明党や自民党内部の問題など、
意思決定者は様々な要素を検討して最良の結論を出そうと努力しているわけです。
僕は、今のメディアの報道を見ると、そうした権力者の機微に寄り添っているようには思えません。
敢えて、難しい要素を捨象して、わかりやすく描いているようにしか思えません。
安倍総理を単に批判すればいいんじゃない。
野党を単に批判すればいいんじゃない。
もっと、権力者の気持ちを思いやることが、今のメディアに求められることなんだと思います。
飯田アナのタイトルのように、反権力は、正義ではない。
世の中はもっと複雑だ、僕もそう考えます。
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