三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

検察庁法改正案についての考え。

検察庁法改正をめぐって、大きく騒がれました。

 


検察官一律の65歳までの定年延長と、検事長の役職定年延長を可能にする特例が、主要な改正点だとおもいます。

 


検察庁法改正に反対します」が盛り上がったように、この騒動には反対意見がかなり盛り上がっています。


松尾元検事総長などの検察OBからの反対意見書も提出されるなど、検察庁法改正案への反対は、かなりの規模に拡大しました。

 

(まあ、この意見書も、いわくつきですよね‥‥‥検事総長一同が出したと思いきや、検事総長経験者は松尾さんだけ。松尾さんも、革マル系で、問題ありの検事総長だと言われます。)

参考:

https://news.yahoo.co.jp/articles/d74661fe0c13ca8af8474dfee1d5db319b86886b?page=1

 


この法案は、多くで指摘されている通り、

前提として国家公務員法案改正に紐づくものであり、検察官も国家公務員である以上そこに紐づけられ、元々今国会に提出予定されていただけに過ぎないと思います。

(だから少なくとも黒川検事長は関係ない。黒川検事長の定年延長は、解釈変更で解決済み)


公務員の労働組合である官公労を支持母体とする立憲民主党は、途中から国家公務員法は賛成だが、検察庁法改正は分離して反対、という主張をやけに繰り返していました。

 

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これは、まさにこの問題が検察官の問題よりも国家公務員の定年・年金問題であることをを表していて、官公労が特に定年延長を求めていたんだろうと思います。

(それとバランスを取るための役職定年延長だと思いますが)

 


なので、話はそれますが、

安倍総理が国家公務員改正そのものを撤回したことは、政局的にはうまいと思いましたし、立憲民主党にとっては誤算だったと思います。

立憲民主党にとってのベストシナリオは、安倍政権が国家公務員法改正を強行採決することだったわけであり、その場合、定年延長も、批判する材料も手にできたわけですから。

 


また、この問題は、メディアを巻き込んだ検察内部の人事争いも絡み、複雑な様相を呈しています。黒川さんが検事総長にふさわしい・相応しくないかは知りませんが、林真琴現東京高検検事長検事総長にふさわしいとか、法務検察内部で決まってたとか、仕事を一緒にしたことがない僕らにとっては論じようがない話だと思います。朝日新聞はじめ、多くの新聞は官邸が無理やり黒川さんを検事総長にしようとした、みたいに語ってますが、「無理やり」の意味がよくわかりません。

 


僕らが民主的に選んだ政治家が人事を決めるわけで、なぜ官僚が内内で決めた人事が一番正しい、と思っているのでしょうか。

 

林さんをやけに推す人々には、何か政治的な思惑がある、

または

盲目的に反対しているとしか思えません。

 


逆にメディアによる人事介入だと言わざるを得ません。恐ろしいです‥‥‥

(いろんな検察内部からのリークも然り‥‥‥)

 

 

さて、僕は、そうした前提に立った上で、検察の独立をめぐる問題として語られることの多いこの問題について、改正案に賛成の立場です。

 

国家公務員法改正の文脈でも賛成ですし、

検察に対する一定の人事権を持てるようにするという文脈でも賛成です。

 


そもそも、検事総長人事は、内閣が任命権を検察庁法上、持つものであり、内閣が人事権を行使できる余地をもつことは、実際に行使するかどうかは措いておいて、必要なことです。

 


僕は、今回の議論、やけに検察の独立の重要性が語られていますが、

僕は逆で、検察庁はもっと監督されるべきだと思います。今がゆるすぎる。

 


検事総長の人事権を内閣が行使してはいけないみたいな不文律があり、かつ法務大臣の指揮権発動も伝家の宝刀となっている現状、組織として国民が監督する術がないのが、検察庁という組織です。

 


東京地検特捜部が小沢一郎周辺を狙った陸山会事件では、検察審査会が利用され、小沢一郎は強制起訴されました。

その際、田代検事が検察審査会に提出した捜査報告書は、全くのねつ造であることがのちのち判明しましたが、検察庁の報告では、田代検事の記憶違い、で済まされてしまいました。

https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20130812-00027213/

 


これは異常です。時の小川敏夫法務大臣は、指揮権発動も考えたが野田佳彦首相に受け入れられなかったと語っています。

 


こんなことが許されていいのでしょうか。

 


大阪地検特捜部の証拠改竄事件も、あっという間に幕引きが図られ、当時の担当検事と部長・副部長が有無を言わさず逮捕された、これもまた異常でした。

 

組織としての問題のはずなのに、個人の過ちに矮小化され、片付けられてしまう。この時の最高検察庁の対応は異常でした。

 

 

 

その一方で、検察の独立、という論点がありますが、僕は行政機関である以上、一定程度の統制は効かせるべきだと思います。

 


法務検察は、捜査面だけではなく、法務事務次官、官房長・刑事局長はじめ、検事総長をトップとして法務省を支配しており、単純に捜査面をやる組織ではなく、行政も担っています。

 

検察が組織防衛に走るなら、捜査権も立法権限ももつ検察に、政治家は誰も手が出せないことになります。

(いうまでもなく、法務検察官僚のナンバーワンが検事総長になります)

 


民主国家としてこれはいいことなのでしょうか。

 


もちろん、政治家が検察・検察人事に一定の影響力を持つことには、濫用の危険性はあります。

 


ただ、政治家は選挙で選べますし、NOの声を有権者として突きつけ、次の選挙で落とせばいい話。政権交代があれば、仮に揉み消されたとしても、次の政治家がそれを暴けば良い。


一方で検察に国民がノータッチということになると、それこそ検察の組織防衛や腐敗は誰も止められません。

 


大阪高検部長の三井環氏は、検察の裏金を暴こうとした矢先、検察に逮捕されました。

僕はこれは隠蔽だと考えます。検察の腐敗とは、こういうことです。

(警察も、北海道警裏金事件で暴露されたように、そうした隠蔽体質があります。)

 

逮捕もできてしまうと、組織としての自らの犯罪をもみ消すことができてしまうわけです。

 

 

もちろん、検察の政治利用を防ぐために、検察と政治は一定の距離を保つべき、という主張はありあると思います。

(韓国みたいに検察が政権におもねりだしても、いけないですよね。)

 


しかし、その場合、検察に対して国民が影響力を全く及ぼせない危険性が想定されるべきです。

そのリスクが考えられぬまま、司法試験をただ受かっただけの人たちに、強大な権限をフリーハンドで渡すこと、それこそ三権分立、民主国家としてあってはならない姿なのだと思います。

 


多分、政治とは、そういうことです。

恣意的に利用される恐れも加味しながら、適切な制度を立案していく。そのバランスです。

 

 

一定程度のバランス、という点で言うと、今回の定年延長は、僕は逆に甘いと思ってます。(だから賛成なんですが。)


なぜなら、ただ単に延長するだけで、別に任期途中の解任などを自由にするものではないからです。


検事総長になりたいからと言って時の政権にこびを売るような人がいるのか?いたとしても検事総長になった瞬間にその立場は検事総長として保護されるものではないのか?

(だいたい2年くらいの任期ですから、2年、が一般的な任期と認識できます、途中で解任されたら目立つはずですし、そこに社会的監視の目が存在します)

 


そもそも検察の指揮は検事総長を通じてしかできませんから、検事総長が検事の矜恃にかけて、政治からの介入に踏ん張ればいいわけです。辞めるとしても。

 


辞めるか、指揮に従うか、です。

(官僚である以上、前川さんみたいな面従腹背を嫌味っぽくいうことは、情けないとおもいます。民主的に選ばれていない官僚は、面従腹背して当然なわけです。)

 


そんなに定年延長ごときで検察が組織として政権の方を向いてしまう、ようには思えませんが、なぜそこまで検察官の矜持を信じないのか。

 

 

 

だから、僕は今回の法改正案には、賛成でした。

反対するなら、僕は組織としてどう監督するか、という視点抜きに、検察の独立を語るべきではないと思っています。

 


あと、黒川検事長の賭け麻雀問題については別途考えたいと思います。