こんな取り組みがあります。
飲食店を応援しようと、ZOOM飲み会の背景画像で飲食店の画像を使って、その分お金を払おう、みたいな。
至るところで、
コロナで経営危機に瀕している飲食店を守ろう、という取り組みが活発になっています。
多くの人が外出を自粛し、営業時間にも制限がかけられている中、飲食店は持ち帰りの充実などの工夫を重ねています。
僕も、家の近くの飲食店を応援したいと、色んなお店で持ち帰りを買って食べるようにしています。
近所のお店を応援したいというか、頑張ってほしい、という思いも込めて持ち帰りを買うようにしています。
元々知ってるお店も、そうでないお店も。
どちらかというと、そうでないお店(元々知っていない、行ったことがないお店)の方が多いです。
どこか、飲食店の皆さんに対して同胞感を覚えているからです。
僕は大学から都会に出てきて、家の周辺地域に対してをこんな思いを抱いたことはありませんでした。
この飲食店が好き!とか、このお店が好き!はあったかもしれないけれど、
行ったことのないお店など、ただ家の周りに位置している、というだけで愛着を持つようなことはありませんでした。
田舎だと、どのお店も知ってる人がやってるから顔が見えるんですが、都会だと、隣に住んでる人でさえ誰かわからない始末です。
あまり「ご近所感」は持ったことはありませんでした。
でも、コロナ騒動のおかげで、家の周囲の地域の人に対する考え方が変わった気がします。
いわゆるご近所意識が芽生えてきたのです。
近所同士、助けあわなきゃ、みたいな。
まずは飲食店レベルから。
まだ、隣の家の人など住人単位では感じたことないですけど、コロナ騒動が長引くにつれて、危機が鮮明になるにつれて、ご近所意識はどんどん強まっていくんじゃないかと思います。
では、ご近所意識が芽生えるとどうなるのか?
飲食店など身近な消費行動でいえば、
「顔の見える消費」が重要になってくる気がします。
同じものなら誰々さんから買おう。みたいな意味合いで、
より家の近所で、近くのあの店に行こう、あの店で食べよう、
みたいに、近場で消費を済ませようとするというか。
理由は、近所の飲食店に対する同胞意識が高まっていくと思うからです。
今回、自分が思ったみたいな、近くの飲食店を助けたい!という思いは、今回限りで終わらないと思います。
なぜなら、コロナ騒動を通して、近所の飲食店という存在が、自分にとってビビッドなものになったからです。
近所の人が頑張ってる、一生懸命にものを作ってる、
そこに対するリスペクトというか、共感が、芽生えています。
よく言われる「応援消費」だとコロナ限りですが、
そういった同胞意識に基づく、「顔の見える消費」はコロナ限りではなく、徐々にこれからも意識の中に残り続けていくものだと感じています。
元々田舎にしか残っていなかったご近所意識が、都会でも飲食店危機をきっかけに共有され始める、みたいな。
在宅勤務化や外出自粛によっておうち消費が増えいき、
多く人にとって「家」が、
「寝るための場所」から「時間を過ごすための場所」に変わりつつある変化に関連して、こういった消費意識も芽生えてくるのでは?と思いました。