三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

「コンテンツたこつぼ社会」と「コンテンツ地獄」

サブスクサービスに入ればいつでもどこでも映画・ドラマが見られ、また漫画も見られるようになった。なんならお金を払わずとも、YouTubeで無料であらゆる動画がみられてしまう。

 

次から次へと新しいコンテンツ、それも魅力的なコンテンツが登場し、次はこれを見たい、というコンテンツが「マイリスト」にどんどんたまっていく。

 

多くの人が、「積ん読」ならぬ「積ん見」のコンテンツを恒常的に抱えている。

 

そうした状況は、コンテンツと生活者の関係の間に、大きく「2つの変化」をもたらしたと考えている。

 

「コンテンツの共通体験がない時代へ~コンテンツたこつぼ社会~」

 

僕が小さいころ(小学生くらい)の時は、めちゃイケやはねトビが全盛期で、今でも同世代の人と話すと、「あの頃何のテレビ見てた?」と、コンテンツがお互いの共通体験となり、世代を物語る1要素になっていたと思う。

 

とはいえ、それが100%良いことだった、というわけではない。テレビしかメディアが存在しなかったため、バラエティが好きではない人、スポーツが好きではない人も、それぞれ同じような番組を見ざるを得なかった、というだけであり、望もうが望ままいが、勝手に「コンテンツの共通体験」ができざるを得ない状況であったといえる。(親がバラエティ好きだったからテレビのチャンネルがバラエティになっていた、みたいな)

 

しかし、今は違う。

 

いつでもどこでも何のコンテンツも自由に選べる時代になった結果、世代ごとに、「ああ、あのコンテンツ良かったですよね」という共通体験が、もはやない。

 

例えば、今の時代、ネットフリックスで最新作がオンエアされたとしても、それをいつ見るかは、1人1人の優先度(≒積ん見リスト)に依存するのであり、一気見もできてしまうことから、そのコンテンツがいつの時代なのか、という“世代性”と結びつきづらくなっているように思う。

 

その結果、コンテンツが各個人の領域で“フィルターバブル”するようになり、社会全体として、コンテンツで共通の会話が成立しづらい時代になった。

 

アニメ好きは無限にあふれるアニメコンテンツを深堀できるし、

韓国ドラマ好きは韓国ドラマを無限に深堀できる。

 

お互いがお互いの知らない、それぞれが好きなコンテンツを楽しんでいる、「コンテンツたこつぼ社会」である。

 

つまるところ、自分と同じつぼのコンテンツは見るが、違うつぼのコンテンツには触れない(触れなくても生きていける)ような、そんな時代になった。

 

②「コンテンツの自由化による“コンテンツ地獄”へ」

 

コンテンツを自由にみられることになり、コンテンツがたこつぼ化したことで、世の中に“コンテンツレコメンド”が増殖することになった。なぜなら、それぞれのたこつぼで、それぞれの人が自分にとっていいコンテンツをお勧めするため、無数のレコメンドが発生しているからである。

 

自由にどんなコンテンツも見られる、という、誰にとっても理想的な世界になったと思いきや、「次はこのコンテンツを見なきゃ」とどんどんコンテンツの「積ん見リスト」に追い込まれていく。

 

色んなコンテンツを知れば知るほど、コンテンツに充てられる可処分時間がコンテンツに追い付かず、「コンテンツの海に溺れている」状況に。

 

コンテンツを見る主語が、自分じゃない感覚。

もはや主体的にコンテンツを選べていない。

 

コンテンツが、もはや自分の領域を飛び越えたアンコントローラブルな存在になっていて、見られる対象だったコンテンツに、主語が移りつつある・・・?

 

(そういう意味だと、いつでもなんでもしていい、という自由は、みんなが幸せになるように見えて、そういうことを招かない側面もあるのだなと感じる。TSUTAYAでDVDを借りないと映画を見られなかった時代の方が、コンテンツを主体的に選ぶことができていたように思う)

 

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という、とりとめのない所感になってしまったが、、、

①②のような時代を幸せに生き抜くには、しっかり「コンテンツの好みの軸」を持っておくことが大事だと思う。

 

自分は何が好きで、何が好きじゃないか。

何を見た方がよくて、何を見なくてもいいか。

 

それも、ジャンルではなく、なんのどんな物語に惹かれるのか、という内容ベースの軸。

 

そういう意味で、「コンテンツとの付き合い方」はしっかりと自分で確固たる軸として持っておかないと、コンテンツの海で溺れてしまい、コンテンツに振り回されてしまうような、そんな時代になってきているのではないかと最近感じている。

 

コンテンツと向き合うのも大変だなあ。。。