安倍総理のG20のバリアフリーの発言が一部で批判されています。
物議を醸しているのは、
今ある大阪城は、かつての大阪城を忠実に再現しようとしたはずだったのが、エレベーターを付けてしまうというミスを犯してしまいまして‥‥‥というジョークでした。
障害者団体や、五体不満足の著者でもある乙武洋匡氏からも批判されています。
また、これと近いやつでいえば、名古屋城の件もあります。
河村たかし名古屋市長は、名古屋城を観光の目玉にしようということで、名古屋城の木造天守閣を忠実に再現しよう(エレベーターはつけない形で)とぶち上げています。しかし、一部の障害者団体などから、エレベーターを設置しないのは障害者差別である、として猛烈な反対を受けています。
この件、どう思われるでしょうか。
誤解を恐れずにいえば、安倍総理の発言も、河村市長の方針も、特に問題ないと思います。
障がいをお持ちの方の気持ちを踏みにじってるのかもしれませんが、僕は2人の政治家の気持ちもわかりますし、わかった上で問題ない、差別などでは決してないと思います。
たしかに、バリアフリーが叫ばれ、どんな人でも生きやすくあることが求められる今の時代にあって、上記の言動はその風潮に逆行していますし、マイノリティの気持ちには寄り添えていないのかもしれません。
ただ、あくまでジョークとして発言した安倍総理は措いておくとして、
とりわけ河村市長に関しては、名古屋城のかつての風景を取り戻すということで、本丸御殿や横丁を作ろう!と動いていたりと、昔の名古屋城のまま、という価値を世に発信したいという気持ちがあるのだと思っています。
僕はその考えには賛成です。
やはり、昔の武将、大名がどのように過ごし、どのように城が使われたのかを再現することは、文化的にも社会的にもすごく価値あることだと思うからです。
ましてや巨額を投じて今のコンクリート天守から再建するのならなおさらです。
もちろん、今の時代なのだから、時代に合った形で、つまりバリアフリーの形で障害者の方や子連れの親も簡単に訪れることができるように再現すべき、という考えもあるかと思います。
しかし、あくまで名古屋城の再建の目的は、「歴史的に忠実に再現」ということにあるのであって、そこに価値があると認められるのであれば、エレベーターは設置しないということを容認してもいいのではないでしょうか。
仮にもし批判するのであれば、そもそも歴史的に再現がいるのか、いらないのかの段階で批判すべきであって、エレベーターを設置しないから障害者差別だ!とか、そういう批判はちょっと違う気がしています。
今の時代、陰に隠れていたマイノリティ側の権利も認められ、声高に主張できる環境が整っていますし、世論も共感して受け入れられやすい時代にあると思っています。
しかしながら、その主張全てに耳を傾けるだけではなくて一歩俯瞰して、
逆の立場、今回で言えば安倍総理や河村市長の側の視点からも物事を見つめることは大切なのではないでしょうか。
マイノリティ側に立ちすぎて、
ちょっと何か引っかかるものがあると、
○○差別だ!○○を冒涜している!などと徹底的にこき下ろされ、
逆の立場の人間側に一切の反論を許さない風潮があります。
LGBTや女性差別の問題などは特にそうだと思います。テレビのクレーマーやそれに伴う自主規制も、それに近いかもしれない。
マイノリティに寄り添おうとするが故に自らの主張を発することができない次のマイノリティを作ってしまっているのは、ちょっと生きづらいです。
以前書きましたが、多様性は必要だ!と言ってる時点で多様性がないというか、
いわば「少様性」とかも、あってもいいんじゃないか、と思います。
※参考
「同調圧力と多様性。」
https://gm-fk20.hatenablog.com/entry/2019/04/18/001438
G20のあとにまた揉めていた件について、こんなことを思いました。