三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

9月論壇時評その①「政治の覚悟。」

(④まであります。)

 

今週、日本の針路が変わる節目の自民党総裁選挙が行われ、菅総裁から、岸田新総裁へとバトンタッチがなされた。

自民党総裁選 岸田文雄氏を選出 第100代総理大臣就任へ | NHK政治マガジン

 

河野、岸田、高市、野田という4人の候補が政策を主張し、総裁の座をかけて“死闘”を繰り広げた最後の結果としての“総裁選出”は、僕自身リアルタイムで仕事中にテレビをつけていたが、少し身震いするものがあった。

 

4人とも、自分の言葉で、自分の政治生命をかけた戦いをしていることがひしひしと伝わってきた。

 

 

岸田新総裁が誕生する一方で、菅総裁は表舞台からは退場していく。

 

御厨貴氏は、菅氏は終始、“官房長官”のままで終わってしまったと喝破する。首相になり切れぬまま、官房長官時代の仕事の仕方の延長で進めてしまったために、うまくいかないことが多かったのではないかと指摘する。

(交論)突然の首相退陣 御厨貴さん、江川紹子さん:朝日新聞デジタル

 

朝日新聞の秋山編集委員も、菅氏は“猛烈な仕事師”として”部下”としては優れていたが、トップになったときに支えてくれる人がいなかったのではないかと指摘する。目の前の仕事には成果を出すが、菅氏にかけていたのは、“ビジョンや全体像”であり、日本の“猛烈サラリーマン”に近しいものがあるのではないかと分析する。

頂点に立った「仕事師」、菅首相に欠けていたのは 秋山訓子編集委員:朝日新聞デジタル

 

 

そんな菅氏の退陣について、日経の芹川フェローは、政権崩壊の理由が政権成立の理由そのものにあったとみる。

菅政権はなぜ終わるのか ブーメラン政治の悲劇: 日本経済新聞

 

1つ目は、「無派閥だから生まれて、無派閥だから終わった」という点だ。安倍政権の退陣の際に、菅氏は無派閥だったためどの派閥も支持しやすかった一方で、そうした利点が、ベクトルがそろわないというデメリットに代わっていったのが政権末期だった。

2つ目は、既出の御厨氏の言うような、官房長官だから首相になって、官房長官のままだったから首相を退陣した」というもの。安倍政権時のようなチームができておらず、安倍総理にとっての菅官房長官のような存在がいなかった。

3つ目は、「官邸主導で官僚を掌握し、権力を掌握したものの、官邸主導が行き過ぎて官僚が動かなくなってしまった」こと。

 

 

上記の議論をまとめると、菅氏は「危機の時のリーダー」になり切れなかったということだと思う。平時のリーダーと危機の時のリーダーは、やるべきことも求められることも違ってくる。

 

朝日新聞の駒野編集委員は、第二次世界大戦時のイギリスの首相を務めたチャーチルは、国民への呼びかけで見事イギリスを団結させたと手腕を評価する。

(多事奏論)国家と危機 チャーチルにみる指導者の条件 駒野剛:朝日新聞デジタル

 

ただ、皮肉にもチャーチルは45年5月の終戦を“勝利”出迎えたにもかかわらず、7月の総選挙では労働党に敗北して退陣、政治家としての“ニーズ”の妙も併せて指摘する。イギリス国民は、戦争後は危機のリーダーではなく、復興をこなしてくれる左派政権を求めた。

 

また、同じく駒野氏は、チャーチルは議会にも“説明”をして民主的に危機のリーダーシップを発揮した点も評価する。正規の議会の手続きを踏み、政府の行動をしっかり説明して理解してもらうことが重要なのだと。

 

“説明”は、安倍菅政権で欠けていたピースとしてよく指摘される。実際、安倍菅政権は、疑惑が生じた際に、説明から逃げたまま、ほとぼりが冷めるのを待ってきた。

 

安倍氏や麻生氏に気を遣うあまり、岸田氏もその延長なのではないか?と指摘する声もあるが、僕は、今のところ“説明”については改善する姿勢がみられると思っている。

 

自民党の役員人事も、野党などは派閥人事だ、と指摘するが、岸田氏は「適材適所」をきちんと説明しようとしている。

「適材適所」で新しい自民党を!党役員人事の狙い - 岸田文雄 公式サイト

 

(そもそも、批判される“派閥人事”ってなんなんでしょうか?総裁選で協力してくれた人にポストを配分するのは当たり前の話で、その中で適材適所を選ぶわけで、“派閥政治だ”と批判するのは、批判のための批判に過ぎないと思います)

 

また、過去の疑惑が持ち上がる甘利幹事長も「説明責任を果たせ」と言われるが、本人が言っている通り、捜査機関がきちんと捜査して不起訴になっているわけで、何でもかんでも「説明責任を!」というのは、度が過ぎているように思える。
(“説明責任”が悪しき形で使われている。)

「寝耳に水」甘利氏、現金授受問題で潔白を主張 「質問出尽くすまで答えた」国会での説明に後ろ向き:東京新聞 TOKYO Web

 

そんな、岸田新体制の船出だが、11月にほぼ予定されている衆院選挙に向けて、野党はどうなったのか。

 

自民党の議論は保守からリベラルまで、まさに多様な議論が繰り広げられていたが、このnoteでは、「保守=自民党」と「革新=野党」の構図が変わっているのではないか、と対立構造が変わってきていることを指摘する。

「保守と革新」が「右翼と左翼」ではないのが見えてきた|fujita244|note

 

保守=古い体制を守る、革新はそれへの対抗だとすると、民主党政権ができて、それを追い出す側が革新としての安倍政権だった。そして安倍政権(菅政権)が終わったとき、それを追い出す側の自民党(岸田新体制)は“革新”と位置付けられるということだ。

 

そのうえで、旧民主党側は、民主党政権当時と変わり映えしない面々で、共産党は志位委員長は20年もそのポストにあり、“護憲”の立場もひたすらに固守していることを指し、「”保守”そのもの」と喝破する。

 

政治学者の岡田氏も、今の野党はある種“保守”になっていると同様の指摘をしたうえで、野党には政治に対するリアリズムが欠けているのでは、と見る。

(インタビュー)リベラル派が陥る独善 政治学者・岡田憲治さん:朝日新聞デジタル

 

本来政治とは、一ミリでも前に現実を進めることだが、野党にはその覚悟がないのではないかと岡田氏は指摘する。

例えば社民党民主党政権時に普天間基地辺野古移転に反対して連立与党を離脱したが、そうした姿勢では現実は全く変わらず、本来であればギリギリまで粘って、負けこんだとしても51対49で押し戻し、少しでも妥協を引き出すために汚名をいとわない覚悟が重要ではなかったのかと。社民党の当時の姿勢は、魂は売らなかったとしても、政治的成果はゼロであったと厳しい評価をする。

 

 

その点、僕は岸田新総裁には、現実を変えていく“覚悟”があると思うし、自民党は”汚れ仕事”でも前に進めることがうまいのだと思っている。ちなみに、菅首相はデジタル庁や処理水の海洋放出など、現実を目に進める覚悟は十二分に備わっていた気がする。ただ、コロナ禍という天災を突破できなかった、、、

 

朝日新聞天声人語は、自民党ばかりがテレビ露出して、野党への配慮が足りない、と報道陣を非難した立憲民主党安住淳氏を引き合いに出しながら、野党は自民党のおこぼれ(敵失)を待っているだけでは勝ちは呼び込めない、と覚悟のなさを厳しく指摘する。

(天声人語)テレビへの露出:朝日新聞デジタル

 

 

衆院選挙は迫っていく中で、自民党総裁選を通じて総裁選の候補もそうだし、野党の権力への覚悟も含め、“覚悟”が試された1週間だったように思う。