三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

8月論壇時評その②「リーダーに必要なこと。」

「失敗を認める」ことは、誰にとっても、またどの時代のリーダーにとっても難しいことなのかもしれない。

 

朝日新聞の日曜に想うは、日本が先の大戦で敗北した際、「敗戦」という言葉を使うのか「終戦」という言葉を使うのかで、大きく議論が分かれた話を今に重ねる。「敗戦」を使うべきと主張した当時の東久邇宮稔彦首相は、「終戦の言葉はごまかしであり、いたずらに国民の意識を弛緩させるだけである」と述べたという。同コラムでは、その出来事を引用したうえでコロナ禍に重ね、コロナ対策で失策が続く政府も、ちゃんと“敗戦”を国民に向けて語るべきだと指摘する。

(日曜に想う)終戦とは、ごまかしのことばだ 編集委員・曽我豪:朝日新聞デジタル

 

僕は、その時の「敗北」とは、どこかと競って「負けた」という意味での敗北ではなく、自らのあるべき理想の姿を重ね、そこに到達できなかった“総括”としての意味合いが強いように思う。まさに、東京五輪で多くの選手が見せてくれたような、自らに対する謙虚な姿勢のような。

 

さて、日本政府の現状のコロナ禍対応は「敗北」といえるのだろうか。

 

日経新聞世論調査によれば、政府のコロナ対策を支持しないと答えた人の割合は、64%とかなり高い。

内閣支持率34%横ばい、コロナ対策「評価せず」64%: 日本経済新聞

 

そうした批判のベースにあるのは、感染者数が急増し、それを抑えることに失敗していることが目に付くため、うまくいっていないように”見える”ことがあるのではないか。

 

佐々木俊尚氏はその点について、パンデミック対応は壮大な撤退戦であり、何かを犠牲にせずに物事を解決することが難しいため、目の前の犠牲をもとに“失敗した”と単純に批判すべきものではない、と主張する。

新型コロナという壮大な「撤退戦」を、奇跡のキスカ島退却作戦から学ぶ 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.665|佐々木俊尚|note

 

もちろん、そうした批判が的を射ていれば問題ない。ただ、佐々木俊尚氏は、そうした批判がしばしば揚げ足取りに終わっていることを指摘する。

 

その例示として、佐々木俊尚氏は、安倍政権時に行われた「一斉休校」を指摘する。メディアは政府の対応は後手後手だ、と主張する割に、先手を意図して対応した一斉休校は、当時猛烈な批判にさらされていただろうと。先手は、多くの一般国民に対して「なぜ今必要なのか?」という疑問を提起するために、批判の対象になりやすい。

 

ただコロナ対応は撤退戦ゆえ、何らかの犠牲が伴うことは避けられないのであり、犠牲に対していちいち批判していたら、きりがないと主張する。

新型コロナ「反ワクチン報道」にある根深いメディアの問題 – ニッポン放送 NEWS ONLINE

 

(参考)
なぜ一斉休校、答えない安倍首相 「決断」の根拠説明を:朝日新聞デジタル

 

まさにそうした「撤退戦」の難しさを文字通り象徴するのが、アメリカによるアフガニスタン撤退ではないだろうか。

 

バイデン政権による拙速な撤退作戦による混乱が大きく報道され、ベトナム戦争時のサイゴン陥落と同じではないのか、としばしば指摘される。しかし、日経によれば、アフガニスタン戦争はベトナム戦争と比べて投入兵力も犠牲者の数も大きく異なり、戦費時代も単独ではなくNATO加盟国での国際負担で行えていた点で、アメリカ失墜を意味したサイゴン陥落と今回のカブール撤退は異なるものであると指摘する。

サイゴン陥落と似て非なる悲劇 ライオネル・バーバー氏: 日本経済新聞

 

ただ結果としてアメリカが払った代償としては、ニューズウィークが指摘する通り、アメリカの撤退を機に、中露が攻勢を強めることは考えられる。

タリバンが米中の力関係を逆転させる|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

そうは言いつつも、勇ましい中国による外交姿勢の一方には、中国にとっての“爆弾”もあることを忘れてはならないと思う。日経で論じられているように、こと中国にとっては新疆ウイグル自治区を抱え、日ごろ押さえつけている宗教過激派が流入してこないか、心持穏やかならないのが実情ではないだろうか。

タリバン復権、中ロ脅かす イスラム過激派流入の恐怖: 日本経済新聞

 

 

話をアフガン撤退に戻す。

 

今まさに爆発も起こるなど犠牲者も増え続けている中、総じてバイデン政権の失策だと指摘する声が目立つが、ニューズウィークの指摘する通り、アメリカの国益を純粋に見極めたバイデン大統領はチャレンジしたと思う。

アフガニスタン撤退は、バイデンの「英断」だった|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

批判を恐れてずるずると駐留し続けてきたのが今までのアメリカであり、テロを防ぐためのアフガニスタン駐留という、本来手段であるはずの駐留が、いつの間にか目的化していたのではなかったか。そんな旧弊を打破したバイデン政権は、その点では評価に値するのではないかと思える。あのトランプでさえ、アフガニスタン撤退を言い出すことはできなかった。

 

そうした意味で、撤退戦にはなんらかの犠牲はつきものであり、その撤退戦に際して単純に“できていないこと”を“失敗”だと断じることはすべきではない。

 

日本に話を戻すと、とはいえ、実際、ワクチン接種が先進国に比べて大幅に遅れていることや、医療体制の確保が、1年たってもなかなか進んでいない現状は、撤退戦の中でも“失敗”と言っても過言ではない部分ももちろんある。

 

ただ、それは菅政権自体が失格であることを必ずしも意味しないと思う。

 

菅政権は、間違いなく仕事師内閣だと思う。内閣支持率が3割台と低迷しているが、やるべき改革は取り組んでいる印象はある。ワクチンも1日100万回接種を自治体と企業を組み合わせて実現させたし、デジタル庁の創設、また福島第一原子力発電所の処理水の海洋放出も、立派な政治決断だと思う。
※ただ、どの政治決断も、”政治決断”であるがゆえに、何らかの犠牲を伴っており、批判の対象にさらされやすいのが難しいところ。

 

菅政権に足りないのはコミュニケーションであるとよく指摘されるが、それはその通りだと思う。安倍元首相時代のほうが、トップコミュニケーションや、“総理”という存在感を感じられたように思う。

 

牧原出東大教授によれば、日本人は卓越した指導力を持つリーダーよりも、共感力を持った普通のリーダーを求めがちだと指摘する。

(未完の最長政権)第4部:2 静かな官僚、人事に問題 牧原出・東大教授:朝日新聞デジタル(有料)

 

だからこそ、日本ではちゃんとした共感力を持っていることが、支持されるためには必要なのだ。

 

また、河合隼雄によれば、日本の長は、歴史的に「指導者」というより全体のバランスをはかる「世話役」とされ、必ずしも力を持つ必要がないとする。欧米は、中心による「リーダーによる統合型」、日本は「中空均衡型」に分類でき、後者は中心が実質不在であることが多く、中を開けても空洞の状態である神社の祠と似ていると指摘する。

三菱電機と「無名」の社長: 日本経済新聞

 

そういう点では、今は有事であることもあるが、菅総理のような「共感力」というよりも「実務家」の人物は、総理としては評価されづらいのだと思う。

 

ちなみに、コミュニケーションがうまくないという点でいうと、IOCのバッハ会長も当てはまる。

 

日本と中国を間違えたり、銀座をぶらぶらしてしまったり。一挙手一投足が批判の対象となってしまっているバッハ会長だが、彼の実態を描き出したのがNHKの記事だ。こうした点をもっと表に伝えるべきだし、もったいないと感じた。

WEB特集 バッハ会長 人物像と“炎上”のワケに迫る | オリンピック・パラリンピック 大会運営 | NHKニュース

 

 

では、どんなリーダー像が理想なのか。

 

朝日新聞は、ドイツのメルケル首相を評価する。メルケル首相は、コロナ対策として自らが打ち出した都市封鎖を、批判を受けて1日で撤回した際に、自らの政策を“過ちだった”と謝罪している。

危機解決の中心にメルケル氏 人心つかむ女性宰相の原点:朝日新聞デジタル

 

 

“失敗”を何と定義するかでもあるが、自らが誤ったと思えば、しっかりと謝罪する。そして説明する。そんな誠実さが、トップには重要なのだと改めて実感した。それは、リーダーに共感力を求める日本ではよりそうなのだと思う。