三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

日本は”安倍さん”を受け入れられるか?

今回の国葬については、大まかに3つの論点があるように思う。

①そもそも、大喪の礼以外に、「国葬」を行いうるのか?

国葬の対象として安倍元総理はふさわしいのか?

③かかる経費は適切なのか?

 

いずれも、正直興味がない。

が、僕が興味があるのは、今回の国葬論議を通じて浮き彫りになった、「安倍さん」という存在の、日本社会における大きさだ。安倍さんだから国葬になったし、安倍さんだから国葬にすべきではないという議論になっているのだと思う。

 

直近の日本政治は安倍さんを中心に動いていたといっても過言ではない。

 

ある人は日本の国際的な存在感の高さを安倍さんに重ね合わせ、「安倍さんが日本を世界のフロントに立たせてくれた」と評価する。事実、トランプ政権との蜜月外交や、G7首脳の中で古参首脳として存在感を発揮していたし、国内的な問題でいえば、防衛省の創設や、安保関連法案の改正、特定秘密保護法の改正といった懸案事項をクリアしていった。

また、統治手法においては、官邸主導で次々と決定していくプロセスを確立させたのも、日本の政治史上、大きな変化だといえる。

 

一方で、ある人は「安倍さんが日本の民主主義を退化させた」と批判する。安保関連法の国会審議では、違憲のものを強行採決したと主張し、強硬な人だと、日本を戦争する国にしようとしているとまで言う人も見られる。また、森友学園加計学園問題や桜を見る会問題等を通じ、説明しない政治を定着させたと非難する声も多い。

 

両方の意見は、事実に対する評価の問題であり、根本的に一致をみることはないが、

総じて、歴代最長の在任期間の総理として、「評価の分かれる」ことに挑戦してきた政治家であるということは誰も否定できない事実であるように思える。

 

「○○総理の功績は?」と聞いたとき、(“功績”の定義は措いておいて)ぱっと浮かぶものがない日本の総理陣がどれだけいるか。総理大臣の職が一筋縄ではいかない重責であることは承知しているが、総理に求められるのは、在任期間を無難に過ごすことだけではなく、賛否の分かれる難題に対して日本の針路を判断し、日本をリードしていくことだと思う。これからの日本は、賛否の分かれる課題を片付けていくことしか生きる道がないから、そうした政治家の役割は非常に重要だ。

 

その意味で、僕は安倍さんは多くの難題に取り組んでいたこと自体を評価すべきだと考えている。

 

安倍さんが取り組んだ課題は、ぱっと思いつく限りで、

内閣人事局国家安全保障会議(局)の創設・強化

・安保関連法案

特定秘密保護法

働き方改革

辺野古移設

・消費増税

・TPP加盟

拉致問題

北方領土問題

などがぱっと浮かぶ。他もあるだろう。

 

安倍さんは総理を退任した後も、核シェアリング問題など、日本にとって重要な問題を提起し続けた。

 

そうした、様々な重要なテーマにまっすぐに切り込んでいった政治家であるという点で、僕は安倍総理国葬に値する政治家だと思うし、少なくとも、国葬にしてもいいんじゃないかと考える。なぜなら、個別の中身の賛否は措いておいて、日本社会が、「難題にチャレンジをする」ことが評価される社会であるべきだと考えるからだ。

 

目立つ杭は打たれる日本社会において、安倍さんは杭であり続け、たたかれ続けた政治家人生だったように思うが、そういう政治家がいないと、日本は前に進んでいかないと心底思うのだ。安倍さんのような、ある種“強引”にでも日本を引っ張っていく心意気のある人を受け入れる寛容さがなければ、この国そのものがダメになってしまうことを危惧している。たとえ、方向が間違っているなら、それは後から修正すればいい問題であり、一番怖いのは、反対を恐れて手を付けなくなることであり、そうした事態をみんな恐れるべきはずだ。

 

その意味で、安倍さんは国葬に値する政治家だと思うし、取り組んだ内容の賛否はいったん傍において快く送り出してあげればいいと思う

 

日本がこれからも生き残っていくためには、第2第3の“安倍さん”を受け入れていく土壌ができていく必要があると、この国葬問題を前に感じたことだ。