昨日の日経新聞の一面トップは、日本製鉄が、脱炭素を進める、という記事でした。
最近、ESG投資やSDGsの重要性が声高に叫ばれ、日本もおいていかれるな!という議論が高まっています。菅政権も、脱炭素政策を加速化させ、DXと並ぶ政策目標として掲げているようです。
菅首相「脱炭素で経済と環境の好循環を」長期戦略の見直し指示 | 環境 | NHKニュース
投資マネーがESGに行くから、経営上の指標としてESGが大事になってきている、とはよく言いますが、でも、実際の生活をしていて、そこまでESG領域まで気がまわっていないのがリアルではないでしょうか。
環境などに配慮したものを買うことを「エシカル消費」といいますが、エシカル消費といわれても、そこまでお金をかけて環境にいいものを使うに至らないのが、僕の実感ですし、今の日本の多くの消費者の実感だと思います。
ですが、グローバルの論調は、異なります。
脱石炭発電、グリーンボンド、ソーシャルボンド、EV、グリーン水素など、あらゆる領域でのESG対応が急速に進んでいます。
日本でも、SDGsが大事だ!ESGが大事だ!と色んなものに取り入れようとする動きが進みつつあるようですが、僕はどうにも、表層的な気がしてなりません。
違和感がすごいです。
正直、社会をよくするためにビジネスをしているんだ、なんて近江商人の三方よしとか、松下幸之助の発想にもある通り、日本の企業はもともと大事にしてきたことですし、(海外での生産拠点での過重労働などはよくわかりませんが)
理念として組み込まれているモノです。
それを、急にSDGsだ!ESGだ!と慌てて対応しようとしてること自体、ちょっと違うんじゃないかなと思うわけです。
(もちろん、見え方、のために対応せざるを得ない事情は分かります)
そもそも、SDGsやESGといわれているモノは、経済的主導権を失いつつあった欧州がゲームの主導権を握り直すために言い出したルールにすぎません。自分たちが戦える土俵をうまく作り出しただけで、その波をうまく作ったに過ぎないのです。
それに踊らされてしまっている中で、どう戦うか?ということが難しいわけですが、あるコンサルタントの方がおっしゃっていましたが、
「日本はグローバル市場のルールを作る側になるという意識が弱すぎるから、欧米の後手になってしまう」
ということです。
実際、今の自動車産業は日本が世界一級の実力を持っていますが、EVは中国に先手を打たれようとしていますし、雲行きが怪しくなってきました。
アメリカが中国を排斥しようとしているのも、世界一を守れなくなっているからですよね。
もっとほかの国はエゴをぶつけあって、主導権を握ろうと必死で生存競争をしている。
与えられた市場の枠内で戦うという意識は勿論のこと、次の市場をどう牛耳っていくのか?という欧州みたいな貪欲な発想も日本にとっては重要なのではないでしょうか。
多分、日本がSDGsやESGに対応しきったころには、また次のルールがうまれて日本はあたふたしていることでしょうし。
知らんけど。