冬の星座といえば、オリオン座。
星座といわれて思い出すのが、地学の問題。小学校の時に、天体の授業で星座の勉強をして、自転、公転といった条件の中で、この星座がこの角度に出る日にちは?といった問題を解いていたのを思い出します。
星座は、テレビ番組の星座占いでよく出てきますが、1928年に国際天文学連合が、世界共通で【88個】に決めたそうです。当時は天文学者が無限に星座を作り出してきりがなくなったそうで、88個に決められたそうです。
ぼうえんきょう座や、ちょうこくしつ座など、全く聞いたことのない星座も含まれています。笑
先日、とある場所でプラネタリウムを見たんですが、その時に、星座の話が出ていました。この星と星はこれで、この星はこれで、と色んな星座の話をされました。
冬の星空には、ペガスス座が真ん中に輝いているそうで、星座を描くシミュレーションをしてくれていました。
ですが、、、
いや、こじつけやん!!!!!
って思いました。
どう考えても、ペガススには見えないし、どう考えても、パッと空を見た時に、ペガススが出てこない。笑
ですが、メインの星座として、ペガスス座が描かれ、オリオン座なども描かれています。一応、有名どころです。
全部全く理解できない!!!!!
って思いました。
めちゃくちゃこじつけ。
でも、でもですよ、
そんな違和感と同時になんですが、これはペガスス座だ、と言われると、ペガススに見えてくるんです。こう見ればいいのか!と。
なんとなくですが。線で描いたものをなんとか記憶に残そう残そうと必死で思った結果ペガススが浮かび上がるわけですが、それは何とか頑張った結果です。脳が無理して繋いでくれてるんです。
でも、何も聞いてない段階で、これ、ペガススやん、って思わない。笑
でも、いまそれは世の中的にペガスス座だと言われています。
となると、ちょっとはペガススに見えてくる部分もあるじゃないですか??
なんか、星座について考えてると、大事な本質って、「こじつけ力」だと感じました。
なんか、一つでもこれだ!と仮説を見立てて、つなぎ合わせる。
すると、みんなにとってその像が間違ってたとしても、見えてくるものがある。
全然ペガススじゃないよそれ、とか。
もっとこれに似てるんじゃない?とか。
これがペガススなら、これはサソリじゃない?とか。
だって、もはや誰がおうし座で、誰がおひつじ座とかは気になるけど、空見て、誰もこれがおうし座だよ、とかやらないじゃないですか。
それでいうと余談ですが、
もう星座は、星座としての役割よりも、別の社会記号になっているように感じています。
星座で重要なのは、それが「星座である」という意味だけであって、それが星を繋いで描かれるものであるかどうか、実際にそう見えるかどうか、は全く関係がなくなっている。
星座は、星座であるという出自それ自体が大事なんですね。もはや。
(血液型は、占い要素もあるのですが、輸血などの時や、DNAの法則という点で、機能性はまだ存在しています。)
ちょっと話それましたが、
話を戻しますと、要は、星座においては、見立てが大事ってことです。
ゼロベースで、ペガスス座なんて描けない。ペガススじゃないか?という仮説がないと、無理!!!だけど、仮説があるからこそ、議論もできるし、星座の理解が深まるわけです。何より、なんとな~くペガススに見えてくることもある。
社会も一緒だな~と。
見立てをまず立てること。それで議論すること。
幻冬舎の箕輪さんも、「叩き台を作るやつが一番偉い」と言っていますが、まさにそうだなと。
星座なんて、星座なんて意味わからないんだけど、なんかその意味わからなさに、星座の奥深さが潜んでいる気がしました。