美味しい飲食店を巡るのが好きです。
「飲食店」の奥深さを知ったのは、社会人2年目、大阪に住んでいた時。
会社の先輩に連れて行ってもらったとあるワインバー。
ナチュラルワインのお店。
とても美味しくて、その味が忘れられなくて、
数週間後、自分ひとりで、勇気を出して再訪してみた。
もちろん美味しかった。
でも、ふと気づいた。
先輩と一緒に行ったときに出してもらったようなワインではないことに。
しかも、隣の人に出している美味しそうなワインが、僕のところには出てこないことに。
「店が人を選んでいる」ということを社会人になって、はじめて気づいた瞬間だった。
それまでは、どの店も、お金さえ払えば同じものを出してくれるものだと思っていた。何なら、メニューにすべて載っているものだと思っていた。
でも、違った。
オーナーは、客をきちんと見ていたのだ。
飲食店の空間の中で1番ワインが好きなのは、オーナーなのだ。
自分が好きなワインを、良さがわかる人に出したいし、逆に良さがわからない人には普通のワインを出しておきたい(それで相手が満足しているなら)なんて思うのは、当たり前だ。しかも数も少ないナチュラルワインなのだ。
いいワインを、その良さがわかる“いい客”に出したい、という当然の道理に、その時ようやく気付いた。
それ以来、僕はオーナーに認めてもらいたくて、何度もその店に通った。ナチュラルワインの良さを知りたい一心で、ボトルも何本も買った。色んなワインを教えてもらった。
通い始めて(といっても毎日通えるほどお金はなかったけど)、1年くらい経ったとき。
ふと入れてもらったワインが、いつにも増してめちゃくちゃ美味しかった。その時、ふと隣に来た一見さんのお客さんには、全く違うワインを出していた。そのお客さんはすでに酔っぱらっていて、あまりワインの味はわからなそうな状態だった。オーナーは、その人には僕のワインは決して出さなかった。
その時、オーナーから初めて電話番号を聞かれた。
「安くもないワインを、若いのに、自分のお金で通ってくれて、すごくうれしい。ナチュラルワインのボランティアとかあるし、これから声かけさせてもらってもいいかな。」
心の中ではガッツポーズをしながら、興奮を抑えて冷静に「はい、ぜひ」と答えた。好きなお店に認められた気がして、すごくうれしかった。
(結局、そこから転職などを挟み、結局ボランティアはご一緒できなかったのだけれど、、、さらに東京に来てしまったので、なかなかその店に顔を出せなくなってしまった。大阪に行ったときは必ず訪れるようにしている)
そんな経験が、自分の飲食店観を形成している。飲食店に行くことは、自分の感性を試されているような気がして、いつも真剣勝負だと思っている。
まさに客と店のコミュニケーション。
客も店を選んでいるのと同時に、店も客を選んでいる。
金沢に行ったとき、寿司屋の大将が、とある日本酒を出してくれた。「あまり手に入らないんですよね~」と笑いながら、
「でもお客さんが日本酒好きだって言って、美味しそうに楽しんでくれるから、お客さんにはこの酒出そうと思って」と言って出してくれた。
僕に大事な日本酒を預けてくれた。
とてもうれしかったし、とても美味しかった。
「どんなものを食べさせてくれるのか」と客が飲食店を試しているのと同様、
「こいつはどんな風に食べるのか」と客も飲食店に試されている。
「飲食店で食事をする」ということは、ある種コミュニケーションの最高峰だと思っている。その店で何を、どう嗜み、どうふるまうか。すべてが試されているような気がする。
まさにこの記事にも似たようなことが書いてあった。
飲食店で目指す理想の接客サービスとは?京大経営学教授に聞いてみた - おなじみ丨近くの店から、なじみの店へ。 (onaji.me)
接客サービスの本質は「闘争」であり、お互いがお互いを認めてもらうように”闘っている”ということ。ちょっと話がそれるけど、この記事にあるように、下手で来るお店より、好きだからやってるのだ文句あるのか?的なお店に魅力を感じやすいのは、客も自らの価値承認を求めているから、ということには一理あるような気がする。
自分はまだまだ全然だけど、
いいものを出してもらえる客になれるように、自分なりの旅を続けたい。
もちろん人生は食事だけじゃないけれど、「美味しい飲食店」を知っている人はやっぱりかっこいいと思う。
そんな人に、自分もなりたい。