さて、今回は、三男日記の名前の由来となった、「三男」についての話をしたい。
三男という名は分かる通り、僕には兄がいる。
それも2人。
でも、正直僕にとっては兄なのか、よくわからない。
だって、年が離れすぎているから。
35歳と33歳。そして、僕は22歳。
家の前でキャッチボールしてたら、通りすがりの人に言われたことがある。
「若いお父さんだねぇ」って。
いや、僕たちは兄弟だ。
ちなみに、念のため言っておくと、住民票によれば僕は実子である。それ以上の真実は知らない。産まれた写真も見たことあるから、多分実子なんだろうと思う。
そういう重たい話ではないので、付言しておく。
さあ、僕は3人兄弟である。
その2人の兄だが、実は2人とも結婚している。そして子供もいる。2人合わせて計4人の子供がいる。
便宜上、長男をたっちゃん(仮)、次男をともくん(仮)と呼ぶことにする。
さて、2人とも子供がいるのだけど、僕自身は、中学3年生の時から姪がいるから、その時から既におじさんになっているわけだ。
もう兄は、僕が小学生の時から社会人生活を始め、今や所帯まで持っている。
そんな兄に、物心ついた時から僕はずっとコンプレックスを抱いてきた。多分、これからもずっと持つのかもしれない。
コンプレックスの中身はこうだ。
小さい頃からずっと兄は僕の先にいた。
正確に言えば、常に先のライフステージにいた。
だから僕も早くその兄に追いつきたいと思っていた。
でも当たり前だけど、本当に当たり前だけど、追いつけなかった。
高校にやっと行けたと思ったら、もう社会人になってるし、大学に行けたと思ったらもう結婚してさらに親になっているし。
常にライフステージの先へ先へと行かれている。
僕だけが、親のすねをかじって、いつまで経っても親の世話になり続けている。
何かやろう!と思っても、自分のお金じゃないから、ちょっと違う。
親孝行のための旅行も、いつも僕だけお金出さない。
これは、追いつけない影と、一生追いかけっこしてる感じ。
兄は自分とは全く異質な存在みたいだ。
でも、僕はそんな兄の「弟」である。
なんなんだろう。この違和感。
一緒に育った訳でもないし、一緒に喧嘩した訳でもない。
なのに、兄弟という家族なのである。
最近、兄の口から「うちの弟です」と言われる機会が何度かあった。
正真正銘の弟なのに、なぜか違和感がある。
本当に僕は弟なんだろうか。
昔から、他の兄弟が羨ましかった。
周りの友達は、みんな年子や、2~3歳上の兄弟がいて、喧嘩してたり、一緒にゲームしてたりするのをみていてガヤガヤしているのが楽しそうだった。
これは一人っ子の感情に近いのかもしれない。
でも、僕は一人っ子じゃない。
兄弟がいるのだ。
とは言っても僕はほぼ一人っ子で育ったみたいなもんだから、割とワガママに育ったし、兄とジュースやお菓子とかでちょっと揉めたとしてもすぐ泣いてたから、勝負とかあったもんじゃない。僕に軍配が上がる。
ちなみに、従兄弟でもそう。みんな兄世代の人ばかりだから、僕は一人ぼっち。そして泣き虫だったから、気を遣わせちゃってた。それがわかってたから、あまり楽しめなかった。
でも、そんな年の離れた兄弟、周りの友達に言わせてみると、僕が羨ましいらしい。
喧嘩なんてしないし、兄からお小遣いももらえるし、そんなにいい兄弟なんてないって言う。
そうか、そんなもんか。
無い物ねだりなんだな。
でも、これだけは言える。
兄弟だからかはよくわからないけど、兄のことは大好きだったなぁ。
物心ついた小さい頃は、2人とも県外の大学に通ってたから、時々会えるくらいだったけど、毎回帰るとき、寂しくて泣いてた。何をしていたかは本当に記憶にないんだけど、泣いてた記憶はある。
そして実は、2人の兄の中でも、たっちゃんの方が好きだった。
理由は簡単で、ともくんは、時々厳しく怒るのだ。
僕はともくんに怒られるのが怖くて、ともくんは天秤座だったんだけど、当時僕は1人で星座占い作ってて、
「てんびん座:怒らない方が身のためでしょう」って書いてた。
それほど怖かった。たっちゃんは対照的に優しくて、甘かった。
あっ、よく考えたら、2人の子供に対する姿勢も同じだった。
ともくんは、子供に厳しい。かなり怒る。
だけど、たっちゃんは、「パパのこと好き?」「パパのこと何番目に好き?」を繰り返すくらい親バカだった。
なるほど、そういうことだったのか。
さて、兄弟って何だろう。
「血を分けた人」なんて、イメージも湧かないし、そんな認識はない。
何より僕は共通体験もそんなにあるわけじゃない。
ともくんが、たっちゃんのことを「お兄」と呼んでたり、逆にたっちゃんが「とも」と呼ぶその2人の間には、何か特別なものがあるのだと思う。
普段はそんなに仲良くないというか話さないんだけど、見ちゃったんだよね。
たっちゃんの結婚式の時、ともくん、号泣してた。めちゃめちゃ泣いてた。
(ともくんの結婚式は、ハワイでやったから、たっちゃんはめちゃくちゃ楽しんでた)
兄弟か。
最後に5人で家族旅行に行ったのは、中学1年の春だっただろうか。幸か不幸か最初で最後の箱根旅行だったと思う。ともくんは東京だから箱根で合流して、5人で行ったなぁ。
でも、不思議とあんまり覚えてない。
覚えてるのは、最後だから!と僕がワガママ言って5人でパターゴルフをしたくらいだ。
僕にとってはワガママのつもりはなく、家族のためだ!と大義ぶっていたのだけど。
なんで覚えてないのか。
それは、家族が増えたからだと思う。
そっちの方が楽しい。
家族が増えるって、弟としては寂しいけど、家の一員としては、楽しい。今や倍だ。3人とも男だから、家族が増えていく。
でも、弟としてはどこか寂しいところがあった。
1番最初に、家を「抜けた」のは、長男のたっちゃんだった。
たっちゃんが結婚したときのことだ。僕はその時、中学1年生だった。
今はなき蒲郡駅前の出雲殿で結婚式を挙げた翌日から、たっちゃんは家からいなくなった。
当時たっちゃんは名古屋の職場まで自宅から通っていたのだけど、もう自宅に帰ってこなくなった。少し離れたマンションで夫婦で暮らし始めたのだ。
目の前から消えてしまうという物理的な寂しさもあったけど、
やはり一番寂しかったのは、
たっちゃんにとっての自分の優先順位が変わっちゃったことかもしれない。
今まではブックオフにも、コロナの湯にも連れてってくれたけど、もう、そんな機会はない。
そんな寂しさを「家族愛」という詩にまとめてみたら市のコンクールで入賞したのは、中学2年の話。
ちなみに、その入賞に味をしめ、翌年のともくんの結婚の時に「家族愛 パート2」を書いたのだけど、それは賞にかすりともしなかった。
弟としては寂しいけど、でもやはり家族が増えると、楽しい。
お正月も、2歳から7歳までの4人の「チビ達」がいることが最早当たり前で、家は賑やかだ。正直うるさいくらいだ。ゆっくりさせてほしい。笑
家の中でのチビは中学3年までは正真正銘、僕だったのだけど、今やその座を取られつつある。
まあ、そのチビ達は兄が僕のことをチビと呼ぶのに影響されて僕のことをチビと呼ぶのだけど。
大人になるって、こういうことなのかなぁ。
これからは対等に兄達と向き合わないといけない。
独立した家族の一員として、生きていかないといけない。
さて、最近聞いたが、「兄弟リスク」というものがあるらしい。
兄弟の負債を背負ったり、生計を面倒みるなどの負担を負う可能性があるという意味らしい。
確かに、入社誓約書も、奨学金も、兄たちが連帯保証人だ。
今までお世話になった返しはしないといけないのはもちろんなんだけど、それ以前に、迷惑かけないようにしないといけないという気持ちが強い。
順風満帆な2人の足を引っ張ってはいけない。
親孝行ならぬ、兄孝行も大事かと思う。
でも、今の兄達にとっては、自分自身よりも、子供に返してくれ!ってとこだろうな。
だから、面倒見てあげられるくらいにならないといけない。
というか、いい模範にならないといけない。
僕は4人のチビ達にとって、
自分にとっての追いつけない「兄」になれるのかなぁ。
さて、4月からは僕も社会人である。
社会人というステージにはやっと追いつけそうだ。
やっとスタートラインに立てた感じ。
でも別に、兄弟で飲みにいくような関係でもないし、べったりしてるわけでもない。
付かず離れずの兄弟な気がする。
それは僕だけじゃなくて、たっちゃんとともくんの間もそうだと思う。
なんか、その感じが、兄弟なのだと思う。
普通にいけば、僕が2人の葬式に出ることになる。その時、僕は泣けるのかなぁ。
弟とは、難しいものである。