先月の熊本出張にて、思った話です。
せっかく熊本に行けたので、
復興途中の熊本城を見に行きました。
まだまだ改修中で、石垣なども崩落したままのものもありました。
こんなに大きい石垣が崩れ落ちるなんて、
自然の力の大きさを目の当たりにしました。
そんな熊本城ですが、
熊本地震のニュースのたびに、「熊本城」というワードを聞いている気がします。
熊本城の復興を!みたいな話で、
寄付金が、20億円を超えたそうです。
「頑張ろう熊本」の象徴も、くまモンと熊本城です。
熊本城って、熊本人にとってのシンボルなんだなと思いました。
そしてなにより、復興に向けた旗印でもあるんだと思います。
熊本城を心の拠り所にしている。
そういうことを考えていて、
似たような話を思い浮かべました。
仙台に拠点を置きながら「東北」を冠した球団として、
楽天は、東北の方を勇気づけるような特別な存在だったのではないでしょうか。
まだ発足してそんなに年が経っていなかった中で、チームとして「東北」と一体となれたのは、
奇しくも震災が大きなきっかけになったんだろうと思います。
スポーツで言えば宮城のチームとしてのベガルタ仙台も仙台の象徴になってましたし、
陸前高田市の一本松も、市民の中での復興の象徴に位置づけられるのではないかと思います。
そういう意味で言うと、
街が一つにまとまり、同じ方向性に向かっていくためには、一定のシンボルというものが必要だと思うのです。
シンボルのある街はいざというときに強いし、
地方創生などが叫ばれている中、うまくいっていない街には、シンボルが足りていないのかもしれない。
(シンボルは、歴史とか、そういう深みがあればあるほどシンボル力が高いとは思います。)
以前、紹介しましたが、長野県の長野県歌「信濃の歌」は、筑摩県と長野県が明治期に合併したのだが、まとまりがなかったのをなんとかしようと統合のシンボル的存在として誕生したようです。
街にシンボルがあるかないか、
それは有形にしろ無形にしろ、街を見る上で一つの視点になると思いました。
熊本城を見て、街のシンボルについて考えました。
(街のシンボルの話は後半に続く)