昨日高校時代の友達の留年が確定しました。
2留目です。
その友達は、理系に進学したのですが、あまり理系の雰囲気や勉強内容に興味を持てず、結局2留してしまったということです。
留年がいいものか悪いものかという議論は措いていて、
彼の場合は、単なる彼のサボりとも取れますけど、その裏には根本的な問題が隠されているような気がします。
高校における進路選択です。
(大学前の段階における進路選択、と言い換えられるかもしれません)
文理を選択するのは、多くの高校では高校2年生のとき。
僕の高校では、毎年7割が理系に、3割が文系に進むことが多く、学校内でも、とりあえず理系行っとけ、みたいな風潮が強くありました。
先生の指導としても、
文系→理系はできないけれど、理系→文系のスイッチはできるから、理系は間違いない、と言われていました。
冒頭の彼は1年浪人していますし、興味持てなかったなら高校2年間〜浪人の3年間でスイッチすればいいという話かもしれません。
でも、合う合わないは、高校での勉強の段階の話もあれば、大学での勉強の話もあるわけです。
高校レベルまでは、受験勉強の延長ですし、
あまり学問や今後の人生、というところまでは見えてきません。スイッチするにも踏み切れないと思います。
大学だと、高校からレベルアップした勉強、本格的な学問というだけではなくて、就職などの将来を意識した過ごし方をします。
すると、どうしても興味を持てなかったりする。
将来に希望が見えない。
そして、やる気が起きない。笑
冒頭の彼は、そんな感じです。
大学での勉強を通じて、悟ったようです。
東大の場合は、一旦全員教養学部に入ってから、3年生で具体的な学部、専攻を選びますから、そういうミスマッチは少ないかもしれませんが。東大は恵まれています。
これ、結構難しい問題ですよね。
理系に限らないと思います。文系でもそうだと思います。
高校2年生というまだよくわからない時期に、
進路選択、しかも将来の方向性を決めうる重大な選択を迫られるわけです。
しかも、高校の先生は受験勉強の先のことはあまり教えてくれない。
就職がどうだ、とか、学問はどうだ、とか、込み入った話は全部捨象されてるわけです。
というか先生は既存の進路選択でのある程度の勝ち組ですし、ネガティブなことはあんまり言いません。
高校で、進路選択講演会とかしてくれるけど、大体、既存のレールに沿った人で、ある程度「成功」した人しか来ません。
そういう意味だと、僕はまんまとそのレールに乗せられちゃいました。笑
大学に入ったり社会人になると、自分の知ってた世界の狭さに驚きました。
知り合いの中には、
高校の時に海外大に行くか東大に行くかで悩んで一時的に東大を選んだ奴もいたり、
そもそも選択肢として大学で海外に行き、日本就職を選んでる奴もいました。
または自分は将来こうなりたいから、この大学のこの学部に行く!という人もいました。
僕の高校時代には、「大学を海外に」という選択肢が全くありませんでした。
既存の偏差値ヒエラルキーの東大までの大学しか知りませんでしたし、そもそもそういうコースがあることすら、聞かされませんでした。
けど、耳には入っていたような気がします。
恐らく、無意識のうちに自分の中でシャットアウトしていたような気がします。
とりあえず東大に行っておけ。
東大行けばなんとかなる。
と、ある意味での思考停止に陥っていたのかもしれません。というか陥っていました。
そこには主体的な選択は存在せず、あくまで決められたコースの中で頑張る受け身の選択が存在していました。
大学で、かつ何を学ぶか、の選択は、将来何がしたいか、とも結びついてくると思いますが(特に理系は)、そこら辺のつながりも、僕はぼんやりとしか知りませんでした。
東大行って、官僚になろう、としか考えていませんでした。
でも、大学に行ったら、想像以上に世界が広いことに気づきました。知らないことだらけでした。(今もその連続ですが。)
社会にはいろんな仕事がありました。
広告会社の仕事もあれば、
コンサルティングの仕事もある。
商社みたいな仕事もあります。
ジョージアのコピーじゃないけれど、
実は世界は想像以上にいろんな仕事でできていること、
なんかそういう幅広い選択肢が世の中に広がっていることを、もっと早くに知ることができたら、高校の進路選択とか、大学選びも変わってきたかもな、と思います。
もちろん、高校の時点で可能性を狭める必要はないし、大学は可能性を広げるためにあるんだから、とりあえず行っとけ、でもいいんじゃないかという気もします。
でも、世界をある程度知った上で進学するのと、全く知らなくて進学するするのは、似て非なるものだと思います。
いろんな選択肢や世界を知った上で、選択する方がいいと思います。
例えば僕で言えば、
とりあえず東大に来ちゃったわけですけど、海外大の選択肢を考慮した上で東大に行くのと、その選択肢を知らなくて東大に行くのは違うという事です。
(世界は全部教えられるわけではないので、ある程度大学進学などに関わる部分の領域にはなりますが)
ただ、誤解のないように言っておくと、そういう現状の進路教育の欠陥を高校という現在のシステムの責任として押し付けるのは違うと思います。
たしかに、高校の先生の多くは教師しかしたことがない人が多くて、受験勉強のいわゆる勝ち組なので、幅広い選択肢を提示することはできていないとは思います。
けれど、先生の仕事や本分はあくまでも勉強を教えたり、生き方を教える事であり、ただでさえ仕事量がパンクしそうなのに、さらに責任を押し付けるのは違うとは思います。
でも、だからこそ、もっと学校は開かれた存在になるべきだと思います。
現状の学校は、外に閉じているし、何より既存のコース以外の選択肢から目を背けている気がします。
(講演会をするにしても、受験勉強頑張って、就職して、という型にはまった人が多く、高校で留年して‥‥とか、大学で留年しちゃったけどなんとか今生きてます!みたいな人は、決して呼ばないですよね。笑)
また、外野からもどんどん学校を開いていくべきです。
多様性が大事、いじめは良くないと言われている学校が、1番多様性がなくて、既存のレールにとらわれすぎている存在な気がします。
学校をやめたら全て終わりな気がする。留年したら人生が積む気がする。
でも、実際そんな事ないし、いじめの例で言えば、無理して学校に行かない方が逆に良かったりするわけです。
なんかそこら辺の幅広い多様性が、もっとあったらいいなぁと思いつつ、落ち着いたら何かやってみようと思います。
冒頭の彼だけじゃなくて、
僕も高校時代、受験勉強にかまけて自分の将来や進路のことを真剣に考えるような主体的に選択ができていなかったから、なんかできることないかなと、考えちゃいました。
2留を聞いて、こんなことを思いました。