最近、東京都港区が新しく児童相談所を建設しようとしている件で、世間が騒がしいです。
港区が新しく、子ども家庭支援センター・児童相談所・母子生活支援施設を一体化させた「子ども家庭総合支援センター(仮)」を2021年をめどに建設しようとしています。
問題になっているのは、その場所です。
候補地は、港区南青山5丁目。
表参道駅や、青山学院大学などが位置する、「南青山」という一等地です。
一等地に子ども、特に悩みや問題を抱えた子どもの施設を作るのか!ということでもめています。
事の発端は、南青山の周辺住民への説明会にて、地域住民から、
「なぜ南青山なのか?」
「青山のブランドイメージをしっかり守ってほしい」
「土地の価値を下げないでいただきたい」
という反論の声が上がったことでした。
そうした声に対して、メディアや芸能人を巻き込んで、
「そういう発言(ブランドイメージが下がるという発言)自体が港区・南青山の品位を下げる」
「最低だ」
という批判が巻き起こっています。
港区住民で反対の方々は、
「児童相談所」に、虐待を受けた子どもや、そうした保護者が集まりかねないことに対して環境上の不安を覚え、「ブランドが下がる」という人もいれば、
「(南青山の裕福な様子を見た)児相の子どもたちがつらくなるのでは」という考えを表明しています。
「ランチ1600円の街に、どうして親が施設に子どもを連れてくるのか!」という意見まであるようです。
一方、そうした声に対して盛り上がっているのが、芸能人の意見です。
作家の乙武洋匡氏は、
「こういう意見を恥ずかしげもなく言えてしまう人々が多く住んでいる。そのこと自体がブランド毀損につながると思いますけどね」
という、住民側の発言自体が港区のブランドイメージを毀損しているという批判もありますし、
タレントのフィフィ氏は、
「あの辺歩いても金持ちって分かる人を見ない。日本の金持ちってそんな感じ」
と、そもそも南青山という土地にブランドがあるのかという疑問を呈しています。
反対派の住民を「勘違いセレブ」と呼称する声まであるようです。
僕の印象では、
そうした住民批判の声が強まり、「児童相談所」の建設に反対する南青山の住民に対して批判的な風潮が強まっていると感じています。
さて、皆さんはどう思われるでしょうか。
僕は、結論から言えば、南青山の住民の意見をもう少し尊重すべきだと考えます。
(南青山の住民に賛成とは言っていない)
というか何より、ガヤの(勝手な)正義感に対して違和感を覚えています。
南青山のブランドイメージはそもそもない、とか、また反対することによって南青山のブランドイメージが下がるのでは、という意見がありますが、
僕自身は、住民の中に「南青山」という土地に対してブランドを感じる人がいてもおかしくないと思っています。
だって、「麻布」「成城」「白金台」というブランドに対してみんな憧れるじゃないですか。いわゆる上流階層の人しかいなかったり、街の雰囲気、高級っぽさなどに魅力を感じたりするわけでしょう。
南青山も、ブランドはあると思いますよ。少なくとも庶民の僕からしたら。
そうした人にとって見れば、ブランドを感じて南青山に土地(家)を買ったのに、街のオシャレな雰囲気とは一風違った施設ができてしまう、
それも急に、事前の説明もなしに、決まりきった話として建設計画が進められてしまうことに反対意見を持っても、それはしょうがないことではないでしょうか。
念のため言っておくと、僕は児童相談所に対して差別的な考えを持っているわけではありませんし、反対意見の住民の方々も差別的だと言っているわけではありませんが、街のブランドイメージについては、そう考える人がいてもおかしくないということを言っています。
何より僕が違和感を持つのは、反対意見を表明した住民を批判する人たちに対してです。
南青山に住んでいる人ならまだしも、
南青山に住んでいないくせに勝手な正義感を振りかざすのは筋が通らない気がします。
自分だって、平穏や、治安や、住民などで、住む土地を決め、高いお金を払って住んでいるわけでしょう。
たとえ自分の土地だったら受け入れる、と考えていたとしても、「よそ者」は軽々しく批判したり、口を出したりすべきではないと考えます。
理想を言えば、その住民たちだけで解決すべき問題だと思っています。
なぜなら、どこまでいっても自分ごとにはならないから。
この問題、本質は原発や米軍基地問題と一緒だと僕は思うのです。
いわゆるNIMBY (Not In My Back Yard) 問題。
「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉、です。
日本語では、忌避施設、迷惑施設とも呼ばれます。
まさに原子力発電所や、米軍基地、ごみ処理場などが当たります。
この問題に合わせて言えば、
南青山の住民の人を非難する人の考えの奥底には、自分の住んでいる場所は関係ないから、という発想がある気がしています。少し上から目線というか。
「その施設自体は必要でしょ、だから認めろよ。」とか、
「南青山に決まったんだから、反対する意味が分からない」とか、
どこか他人事のような感じがするのです。
僕は、発言する人、特に芸能人の中で、南青山に実際住んでいる、という人の声を見たことがありません。
どこまでいっても完全に自分ごとにはならない。
そこがNIMBY問題の難しいところなのではないかと思っています。
他の例でいえば、米軍基地の問題が一番わかりやすい。
本土の人にとって、米軍は必要だけど、でも基地が近所に来るのは嫌だ。
「お金貰ってるんだから我慢しろよ」とか、
「辺野古移設に反対したら、普天間は移設できないよ?辺野古しかないでしょ」とか。
自分の街だったら、、、という視点が抜けていると思います。
(ちなみに、沖縄が米軍基地にとって地理的に最適だから沖縄しかないでしょ、という主張は、歴史的に沖縄駐留を日本側が逆に望んでいるという実情まで考慮する必要があります。)
どこまで行っても、本土の人が発言する場合、沖縄基地の問題は他人ごとの域を越えないのではないでしょうか。
だからめちゃくちゃ難しい。
原発問題も同じように難しい。
さて、南青山の話に戻ります。
まとめると、
僕は、南青山に住んでいないのに安易に住民の反対意見を批判するのは、僕は筋違いだと思います。
その議論は、港区の行政や、周辺の住民に任せるべきだと思います。
または港区の三田、港南といった、既に似た施設がある地域で代替できないか、といった議論を進めるか。
(ちなみに港区の資料では、それができないからこそ南青山に建設するのだ、とあります)
批判するにしても、頭ごなしに批判するのではなく、しっかりと彼らの主張に寄り添い、相手を理解・尊重する姿勢を少しでも示すべきではないでしょうか。
ただ、それを言うとNIMBY問題に対してよそ者は口を出すな、という盲目的な主張に繋がりかねないので、僕はそういうことを言いたいわけではないです。
僕が言いたいのは、
自分の置かれた立場をしっかり理解したうえで、相手の立場を尊重しつつ意見を言うべきだ
ということです。
今回の港区児童相談所騒動では、
住民批判をしている人たちに、相手を尊重する姿勢が欠けている気がしました。
港区児童相談所騒動について考えてみました。
皆さんはどう思いますか。