三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

「西郷隆盛」という矛盾。

西郷隆盛西南戦争と共に亡くなりましたが、

西郷隆盛」は今の時代も生きている、そんな話です。

 

 

遂に

NHK大河ドラマ西郷どん」を見終えました。

 

最終的に主人公:西郷隆盛西南戦争という形で明治政府に反旗を翻すこととなりましたが、西郷隆盛」という存在は、武士の時代から次の時代へと変わるためには死ななければならない存在でした。

 

そういったメッセージをドラマを通じて語りかけられた時、自分自身が時代のために死なねばならないと悟ったらどう考えるのだろうかと考えていました。

 

自らの死が社会の前進に値するほどの人間になれるだろうか。

 

(そんなこと、あるのか?笑)

 

この話は、戦争中の特攻に少し通ずるものがある気がします。

 

自分は家族と生きたい。

平和に生きたい。

と思いつつも、国のために命を投げ出して戦ってくれた先人たちがいます。

 

 

先日、知覧に行きました。

戦時中、神風特別攻撃隊の出撃基地となった陸軍航空隊の知覧特攻基地があった場所です。(知覧だけではなく、海軍航空隊鹿屋基地からも特攻部隊が出撃しました)

 

特攻で散っていった兵士たちの写真と、家族へのメッセージを見ました。

どのメッセージも、「母のいうことを聞くように。父からのお願いです」

大和魂を代表して、国のために死ねることを誇りに思う」

など、国のために自らの死を「前向きに」差し出す感情が投影されていました。

 

知覧の地で、二度と日本の地を踏むことができないと覚悟しつつ、出撃前夜に皆で飲んだ酒、家族との別れ、そして出撃直前の仲間との団らん。

彼らはどんな気持ちだったのでしょうか。

 

 

さて、西郷隆盛に話を戻してみます。

西郷隆盛の場合、固有名詞「西郷隆盛」として時代に死を要求されたという点は特攻と大きく異なるのではないでしょうか。

 

文明開化の時代に取り残された武士を一手に引き受け、かなわぬと知りつつ反旗を翻すことを余儀なくされる。

それが、ドラマ中で妻・糸が指していた、

「旦那さあが西郷隆盛ではなかったら・・・」の「西郷隆盛」の宿命だったのか。

 

(ただ、坂野潤治によれば、西郷の反乱がもう少し前の時期であれば、樺山資紀や川村純義といった陸海軍の内部からの反乱者も見込め、クーデターとしての成功可能性はあったと述べています)

 

 

では、一人の人間である西郷隆盛は、なぜ「西郷隆盛」にならざるを得なかったのでしょうか。

 

京都大学佐伯啓思名誉教授は、西郷隆盛を、

明治維新という革命が内包する根本的矛盾の象徴である」と述べています。

 

どういうことか。

佐伯名誉教授によれば、

明治維新とはそもそも日本を外国から守るため、いわば攘夷的な発想から生まれた復古的革命であるにもかかわらず、

明治新政府は生き残りのために日本の西洋化を図るしかなく、西洋化を図るほど本来の攘夷の覚悟を支える「日本人の精神」が失われていく、という矛盾だといいます。

 

西郷隆盛は、そうした矛盾を実感しながら、

日本人の精神を大切にするために出発したはずの明治新政府が、

日本人の精神を忘れて西洋化に邁進するという構造的な矛盾についていくことができず取り残されてしまった士族たちの不満を一手に引き受け、

自ら彼らの象徴的存在として、次の時代に行くために西郷隆盛」として死なざるを得なかったのです。

 

ただ、明治時代の西洋化の矛盾の名残は、今でも少し残っている気がします。

 

僕もそうですが、日本人は西洋人を少し上にみる傾向があると思います。

 

例えば、日本人は、海外、特に欧米文化圏で日本人が褒められると、過度に喜びませんか。というか、なんか嬉しくないですか。

例えば「ノーベル賞」とか。

ノーベル賞は至高の賞だから当たり前と思うかもしれませんが、日本生まれ、イギリス育ちの作家・カズオイシグロノーベル文学賞を受賞した時を例に出すと分かりやすいかもしれません。

日本では各紙1面トップで報じるなど非常に話題になったのに対し、当のイギリスでは1面で報じたのは1紙のみで、授賞式や晩さん会は報じられなかったそうです。

 

その背景として、ある英国学者は、

イギリス人は自国の文化に誇りを持っており、海外の評価を気にしないから」と述べています。

 

他に例を挙げるとすれば、僕は「世界遺産」にも違和感を持っています。

 

世界遺産」というタグ付けは、観光振興には効果があるかもしれません。

ただ、各国で民族、風土、文化が違うにもかかわらず、

文化財や文化そのものの価値を「世界遺産」という西洋諸国の評価に過度に依存しているのには違和感があります。

 

なんか手段が目的化している感じ?

 

最近、富士山や和食、軍艦島が登録され、色んな街が世界遺産を目指した運動をしています。

文化財のある街に出かけると必ずと言っていいほど、「○○年世界遺産登録を!」というような垂れ幕を見かけます。

 

世界遺産」として世界に認められることに価値があるとすれば、そうした評価は後からついてくるのに・・・と思ったり、

文化というものは単にそういった単一的な指標に還元されるべきでもないと思ったりもします。

 

 

なぜ海外に認められたからと言ってそんなに喜ぶのでしょうか。

 

逆に言えば海外に認められないと残念なことなのでしょうか。

 

そう考えると確かに日本は、過度に海外の評価を気にし、西洋人に褒められると、少し誇らしく思う傾向があります

 

 

そう考えると、

西郷隆盛が「西郷隆盛」にならざるを得なかった、そして「西郷隆盛」となったがゆえに死んでいったものの、

明治の時代に日本が抱えた、「日本」と「西洋」の関係における矛盾は、いまだ解消されていないような気がします。

 

「日本」という国は日本であるように見えて、日本でないのかもしれません。

 

 西郷隆盛は死にましたが、「西郷隆盛」はまだ生きています。