三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

銭湯の魅力を考える。

僕は銭湯が好きです。

といっても家に浴室がないわけではないです。普段はシャワーを浴びています。
でも、今日はシャワーじゃないな、と思ったときに銭湯に行きます。
といってもお金がそんなにあるわけではないので、1カ月に3,4回くらいしか行けませんが、近所の銭湯に時々行きます。


普通に考えてみれば、シャワーがあるのに銭湯に行く必要なんてないわけですし、
おっきな浴場というのでも、500円近い価値があるかといわれたら、価値があるとは自信をもって答えられません。

 

ですが、僕が銭湯に行くのは、お風呂に入りに行っていくためではありません。


というと語弊があります。

正確に言うと、お風呂に入るだけを目当てに行っているわけではないということです。

では何をしているのか。

 

OFFにするために行っています


銭湯に入るとき、スマホはおろか、本も、パソコンも何も持ち込めません。

誰もが身1つで入ります。

そんな、いわば周囲との繋がりを絶たれたOFFの状態が、すごく自分にとって貴重な時間になっていると考えています。

部屋にいるとどうしてもスマホが気になったり、メッセージを返事をしなきゃ!と思ったり、
棚にある本が気になったりと、まわりの世界の情報との繋がりをシャットアウトできません。

また、考え事をしようと思っても、部屋だと情報が入って集中できなかったり、うたたねしてしまったり、横になって寝てしまったりしてしまうことがあります。

 

普段の生活で、
「無」の状態を作り出すことがなかなかできないな、と思いました。


その時、銭湯って、ぴったりなんです。


何も持ち込まずに繋がりをシャットアウトしたうえで、
しかも熱い湯につかっているから、眠くもならない。


シャワーでもできるかもしれませんが、
シャワーだと、急いで入らなきゃ!と思ったり、あと空間が狭いので、ゆったりはできません。
銭湯なら足を延ばして、広い風呂の中で、のんびりと過ごすことができる。


僕が銭湯、いや銭湯に限らず温泉が好きなのは、こういう理由です。


色んな意味でなかなか落ち着くことができない今の時代だからこそ、
銭湯のように、様々な繋がりを無理やりシャットアウトして、自分が考えることに集中できる空間が必要なのかもしれません。


そういえば過去に、「はだかの学校」という企画を目にしました。
銭湯で授業をして、学ぶという単純なイベントですが、面白いなと思いました。

普段学ぶとき、特に年齢が上がるにつれて学ぶ時、他の人は何を考えているのだろう、自分だけ理解できていないのだろうか、といった余分なことが気になってしまうのかなあと思ったとき、
物理的に「はだか」になることで、体面とかを気にすることなく、精神的にも「はだか」でぶつかることができるかもなあ、と思ったからです。


色んな情報が入ってしまったり、競争が激しい今だからこそ、銭湯のような、一回ハダカになれる瞬間、空間が大切になってくるのかもしれませんね。


銭湯、なくなってほしくないなあ。


銭湯、いや大きい風呂の文化を残すために、何かしたいなと思います。