三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

ホンネとタテマエばっかり。

 

つい先日、外国人労働者の益々の受け入れを目指す入管難民法改正案が国会で可決されました。

この法案の審議の過程では、技能労働者として受け入れる外国人労働者は、移民ではないのか?という論点や、日本は移民を受け入れるということか?という論点が浮上していました。

 

朝日新聞の大野博人編集委員は、その論点について、「賞味期限が切れている」と一刀両断しています。

簡単にまとめると、既に260万人近い数、京都府の人口に匹敵するくらいの外国人労働者を受け入れておいて、今更移民だなんだという話には違和感がある。日本が外国人労働者(移民)に頼っている現状に目を背けず、「移民に門戸を開くものではない」ときれいごとを言うのは如何なものか。

というものでした。

 

この記事を読み、考えました。



よく考えると、

日本にはホンネとタテマエ、明らかなタテマエ多いなぁと。

 

例えば、

北方領土の話です。

安倍政権が、事実上4島返還から2島返還にシフトするような方針を発表した時、

多くのメディアや論者たちは、「4島を諦めるなんてけしからん」「妥協すべきではない」と主張していました。

 

僕はその主張に違和感を覚えました。

だって、4島なんて現実問題返ってくるわけがない、その結果が、ロシアとの平和条約は結ばれていないわ、何も返ってこないわ、という現状につながっています。

 

恐らく、4島論者たちも、4島丸ごと返ってこないことはわかっているのでしょう。けれど、領土問題でロシアに譲るわけにはいかないというタテマエを言い続ける。

 

(領土問題で譲歩すべきでないとはその通りですが、北方領土に関しては日本はソ連を始めとする連合国との戦争に負けたという現実を直視すべきです)

 

ちなみに余談ですが、

北方領土教育のために根室エリアに修学旅行にいく補助金があるそうです笑

今年度から2万円程度に補助が倍増するみたいです。

https://www8.cao.go.jp/hoppo/shisaku/pdf/medemiru.pdf

 

または、教育

学歴が全てじゃない、多様な道がある、とタテマエでは言いつつも、結局社会に出たり、出るまでには現時点では学歴がある程度の重要性を持つ。先生も偏差値の高い高校を目指すように指導したりもする。

 

または、就職活動

6月1日面接解禁というルールのもとで、「面談」「キャリアディスカッション」「キャリアマッチングセミナー」という名の面接が横行している。ホンネでは会社の人も就活生も、大学もわかってるけど、誰も口に出さない。タテマエは守り続ける。

 

この話で笑ってしまったのが、

総合商社の話です。

就活生が、話を聞きたい会社に勤める大学のOBOGと自分をマッチングさせてくれるアプリ、「ビズリーチキャンパス」で、5月半ばですかね、青山にある総合商社のOBが新しく登録されました、と通知が来たのでプロフィールを確認したら、「内定者です」と書いてあったという。笑

(敢えて補足すると、総合商社は6月1日を厳守する形で、実際1日から面接が始まり、、、というフローを取っているとされています)

 

また、こんな面白い意見を読みました。企業はコーポレートガバナンスとか口酸っぱく言ってる割には、就活の時はガバナンスのへったくれもない。新社会人となる就活生にとっては自らの社会人生活の入り口で早速そのような洗礼を受けるようではコーポレートガバナンスなんて笑いごとに過ぎないのではないか...。




移民の話も、北方領土の話も、学歴の話も、就活の話も、ぜんぶホンネとタテマエの世界です。

 

ただ、社会はこのようなものなのだとは思います。ホンネだけではやっていけないから。



でも、どうしてこんなに「明らかな」ホンネとタテマエが使い分けられてしまうのでしょうか。

 

僕は、その理由の一つは、日本だからだと思います。



日本という国は、日本人がほとんどを占める(これもホンネとタテマエの一種かもしれません)、いわば単一民族国家であり、同じバックグラウンドを持つ日本人同士では、口に出さない「文脈」の共有もしやすい。



どれがホンネでどれがタテマエか、が共有できるゆえ、敢えてその使い分けがなされているのでしょうか。

 

海外のように多民族が正々堂々と対等に共存しているわけではないために、日本人同士、

「これわかってるよね?」

という暗黙の事項に関しては、互いに敢えて口に出さずとも共有することができる。



また、単一民族というだけではなく、「日本人の」単一民族だからかもしれません

海外の人のように、日本人はズケズケ言わないし、「遠慮」や、「謙遜」を大事にします。

一番身近な例だと、「つまらないものですが‥‥‥」ですよね。互いにつまらなくないものだとはわかりつつ、でもタテマエとして謙遜して「つまらないものですが」と添える。



もし仮にホンネとタテマエの話が日本人に特徴的な話であったとしたら、そうした文化はなぜ生まれたのか、気になるところです。横並び意識や中流意識にもつながるかもしれません。



もう少し考えてみたいと思います。