3月26日は、東京大学の卒業式でした。僕も、無事法学部を卒業致しました。
「卒業おめでとうございます」
と、周りの人から大学の卒業生に、よく声をかけられると思います。
僕も、今年卒業だ、というとよく声をかけてくださるのですが、有難いとは思うものの、
何か違和感があり、あまり嬉しいと思ったことはありません。
というと語弊がありますね。
実際、その方が祝ってくれている事実は嬉しいのですが、自分の大学の卒業自体、自分にとってめでたいものとはあまり思ったことがないからです。
周りを見ていても、皆、卒業式はニコニコしていますし、ワイワイしていますが、今まで会っている人とは簡単には会えなくなるのに、なぜかみんな嬉しそうです。
いや、でも多分、卒業式で久しぶりに会える人や、今までの思い出に、ということで、テンションが上がっているのだと思います。卒業自体に喜びを見出しているわけではなさそうです。
少なくとも、僕ら卒業生にとっては、大学というモラトリアムの機会を失い、社会人として自立せねばならないという意味で、おめでたいというより、悲しい出来事に近いような気もします。
しかも、多くの人にとって次のステージは、コンフォートゾーンから離れ、より居心地の悪い世界へと移動するわけです。
それでは、
「卒業おめでとうございます。」は、誰にとってめでたいのでしょうか。
僕は、仮におめでたいとしたら、
親ではないかと思います。
無事ここまで育てられましたね、お疲れ様でした、という意味で、卒業は、おめでたいことなのではないかと思います。
卒業生が親にありがとう、と感謝すべきであるということは一旦措いておき、
「おめでとう」に単純化して話を進めると、親に対しておめでとう、というなら僕は話はわかります。
でも、大体のおめでとうは、卒業生に向いています。
それでは、「卒業おめでとう。」とは何か。
僕が考えるには、
この「おめでとう」は、取得した学位に向けられたものなのではないかと考えます。
例えば法学部なら、単位を取得し、法学士を得ること。
それがおめでたいのでしょうか。
確かに、それはおめでたい。
修士号、博士号は措いておき、 学士にのみ絞って進めると、
大学を卒業し、ある程度の学問を修めたことが意味を持つ時代においては、学位の取得は、意味あることだったのかもしれません。
〇〇大学で学問を修めた。
〇〇大学の〇〇学部を出た。
そういったことに社会的に価値があった時代には、「卒業」はおめでたいのかもしれません。
しかし、今の時代は微妙に違っている気がします。
「大学」(「学校」もそうですね。)という機関が社会に果たす価値が相対化され、
かつ学歴というものが意味をなさなくなってきています。(もともと意味があるものだったかは別にして)
そう考えると、
「○○学校、卒業おめでとう」、
とりわけ「大学卒業おめでとう」は、
学ぶべき場所が学校に限られていた時代には意味ある言葉だったのかもしれませんが、そうじゃない今の時代には合っていない気がします。
だから僕もなんとなくの違和感を抱いていたのだと思います。
大学で学んだことがそのまま社会に出て生きるわけでもなく、正直言ってある意味での人生の通過点として大学に行っていたに過ぎないと思うからです。
または、単に、「卒業おめでとう」は、「お疲れ様」「4年間という過程を修了してお疲れ様!」という意味なのでしょうか。
(フルマラソンを完走したときにお疲れ!と声をかけるように)
みなさんは、どう思われますか??
以上、
卒業生に対しての「卒業おめでとう」は、前時代の名残だと思う僕は、あまり使いたくないという話でした。
とは言いつつも社会慣習として卒業おめでとう、は使われるので、一応使っておきます。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます!!