三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

リスクを取ること自体評価されるべき。

「ゼロリスク」と言いながら、実は「ハイリスク社会」な日本の不思議(山口 真由) | FRaUhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/83472?imp=0

 

この視点は、その通りだと思いました。


日本は、ゼロリスクを歌ってるにも関わらず、リスクを取った人を過度にバッシングしている。

 


ここに書いてある吉村知事も、かつては大阪モデルで全国の先駆けとして注目されていましたが、他の都道府県より早く緊急事態宣言を解除したことを背景に、今や大阪の感染拡大の責任は全て吉村知事にあるかのようです。

 

吉村知事 宮根の「最近TV出るたび叩かれてる」指摘に「色んな批判あると思う」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

 


本来であれば、吉村知事の責任は、経済を守るメリットと、感染拡大防止のメリットの双方を天秤にかけて議論されるべきものだと思います。


緊急事態宣言を継続させることで、経済に与えるダメージを抑えることのメリットと、

緊急事態宣言を出し続け、感染拡大を抑えることのメリット。

 


どちらが正しいという結論は出るわけがなく、首長は一身に責任を背負って判断するわけですが、当然、緊急事態宣言を維持した方が、自分の評価を守ることにつながります。


なぜなら、誰も緊急事態宣言を出し続けることには批判しないけれど、緊急事態宣言を解除してたとえ経済が少し回復したとしても感染拡大が止まらなかったら、批判にさらされてしまいます。(感染拡大によって被害を受ける人の方が"一見"多いため)

 

 

日本社会は、人と違ったリスクをとった決断をした場合、その決断をしたこと自体は評価されず、結果だけ見られます。チャレンジしなくて現状維持した方が、なんなら評価されがちなのは、その通りだと思いました。

 

 

冒頭の記事で山口さんが言っているのは、そんなことを続けてると、誰もリスクとらなくなっちゃうよと。

 

その成れの果てがワクチンだと思うんです。

 

官僚が平時体制で、承認しても誰も責任を追及しないけど、もし副作用で事故が起こったら、薬害事件の時のように官僚が逮捕される。政治家は責任を取らない。だからこそ、官僚はなかなか承認しないし、ゼロリスクを求めたがる。結果としてなかなかワクチンの承認は前に進まなかった、ということです。

 

新型コロナ: 必然だったワクチン敗戦 不作為30年、民のはしご外す: 日本経済新聞

 


ジャーナリストの佐々木俊尚さんがそうしたリスク回避社会について、こんなことを言ってメディアの責任に言及しています。


すぐ「後手後手だ。政府は何をやっているのだ」と言うのですが、後手後手になるのは当たり前です。先手を打ったら皆さん褒めるのかと。

 

安倍首相が昨年(2020年)2月の時点で、学校の休校を要請したら、皆さん怒っていたではないですか。

 

結果的にそれで悪かったかというと、それほど悪い施策ではなかったと思うのですよね。だから、結局先手を打てないし、リアルタイムでジャストな政策を打てるはずがないのだから、すべて後手後手になる。それを「後手後手だ」と言っておけば、何となく「言った気になってしまう」というのがメディアの問題です。


首長やリスクテイカーの人は、外のガヤよりも数十倍も考えて決断しているわけで、その決断に対するリスペクトがあった上で評価するなり批判するなりしないと、いつまで経っても足を引っ張るだけの社会になってしまうのではないかなと思いました。

 


もちろん、批判する人がいないと成り立たないことも一面の事実です。みんながみんな批判に責任を負うことで、言論空間が窮屈になりかねない。


ただ、大事なのは、代替可能性を考えることだと思います。


かつて55年体制では、自民党社会党がそれぞれ議席を分け合い、社会党衆院の3分の1の議席を持っていて、党是である改憲阻止を果たせる程度の議席数は持っており、これ以上党勢を拡大する意思もなく、また自民党に代わって政権を取る覚悟もないまま、野党として政治に向かっていました。


そうした中で、ついに1994年、社会党から初の首班が出た村山富市内閣ですが、社会党ははこれまで反対していた日米安全保障条約に賛成に転じ、違憲としていた自衛隊も合憲とするなど、今まで主張していた内容を180度転換させました。


これはやはり、社会党がリアリスティックに現実を捉えられていなかった限界を示していると思います。万年野党で満足していたのがいけなかった。

 


冒頭のリスクの話は、これと同じかなと思います。社会党は、ノーリスクで相手のことを批判していたに過ぎませんでした。自民党の揚げ足を取ってた分、一定の支持は得られたから、それで満足していた面もあった。だからいざ政権を取ったらボロが出てしまった。

 


思うに、自分が逆の立場だったらどうか?という代替可能性を持って考えることが、日本社会には重要なんじゃないでしょうか!

 


(僕も普段できてるか自信ないので、自分自身に肝に銘ずる意味でも、、、)