緊急事態宣言で、多くのお店が閉まっていますが、僕の家の最寄駅にある本屋もその一つです。
なんか、時々無性に本屋に行きたくなるんですよね。
本自体はネットでも買えるんですけど、
本屋で、自分が興味のないはずだった新しい本を見つけたり、雑誌の特集で面白そうなものがないか探したり、興味をそそられることが楽しいんです。
小さい頃から本屋に行くことが好きでした。
緊急事態宣言で本屋が閉まって行けなくなったことで、
本屋で自分が気の向くままにいろんな本に触れ、いろんな知的刺激を受けられること、しかも無料で空間を味わえることが、ありがたいことなんだなと実感しました。
こんな記事を読みました。
本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上) | nippon.com
過疎の地方で、本屋を守るために街の人が力を合わせて本屋を盛り上げたというニュースです。
(この記事でかかれているように、本屋があることでどんなに田舎でも本の発売日に新しい本をすぐ読めることがすごいことなんだなと知りました。流通すげえ!)
本はネットで買えるけど、本屋という空間って街に欠かせないように思えます。
空間自体は無料なんだけど、自分のお金で、あらゆる本の中から、自分の興味を満たすものを選ぶ体験。
脳が常に刺激されている。
でもいつのまにか脳がリラックスしている穏やかな空間。
余談ですが、本屋でトイレしたくなることを青木まりこ現象といいますが、僕もよく本屋に行くとトイレに行きたくなります。
原因は紙の匂いだとも言われますが、
僕は脳が無意識にリラックスするからだと思います。脳の神経系が弛緩するからこそ、トイレに行きたくなる。
だからこそ、蔦屋書店×スターバックスみたいな取り組みや、本のある空間を有料化した文喫のような取り組みが出てくるんだと思います。
そういう意味だと、ある意味本屋は公共インフラだとも言える気がします。
でも、留萌のような取り組みを見ると、本屋ってインフラなんだけど、皆で作り上げていく共創空間なんだなという気がしました。
単に本を売る場ではなく、お客さんと書店員と作家のコミュニケーションの交差点が、本屋。
いろんな出会いが混ざり合って初めて成立する場所なんですね。本屋は。
そんな、いろんな出会いで脳を刺激して、でもリラックスさせてくれる本屋の空間を享受できることのありがたみを感じている今日この頃でした。