三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

ポリティカルコレクトネスの弊害

JALが機内放送でLadies and gentleman を使用するのをやめる」というニュースですが、うーん、これどうなんでしょう。。。僕はイヤだなと思っちゃいますね、こういうの。

 

ladies and gentlemen きょうから変わりました 日本航空 | NHKニュース

 

多様な性別に配慮する、ということなんでしょうけど、これは【ポリティカルコレクトネス】の一種だと思います。

 

ポリティカルコレクトネスとは、Wikipediaの定義を借りれば、

性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用すること

ということで、

具体例で言えば、看護婦を「看護師」に言いかえたり、黒人の意味で使用されていた「ブラック」という言葉を、侮蔑の意味が込められていた歴史から「アフリカンアメリカン」と言いかえる、といったものを想像すればわかりやすいでしょうか。

 

僕がイヤだなと思う理由は、こういうのってきりがないなと思うからです。

 

僕は、言葉に含まれる意味にも気を付けて言葉を使った方がいいというポリコレの趣旨自体には賛成です。やっぱり言葉の持つ力は大きいと思いますし、自分が何気なく使った言葉が、相手を傷つけてしまうこともあるかもしれません。

 

でも、これって実は世の中全体が思考停止してるとはいえないか?と思うわけです。

 

例えば、民間企業がサービス内や広告内でポリコレに注力するのは炎上リスクを避けるためだと思いますが、そうしてリスクを避けようとするあまり、面倒くさいからもう使うのやめちゃえ!!みたいになっちゃってるんじゃないかと。笑

 

こういう問題の本質は、【思いやり】だと僕は考えます。

 

思いやりというのは、言葉を使う人がその言葉によって相手を傷つけないように配慮するという思いやりと、その言葉を言われた側(その言葉を聞いた周囲の人も含む)の、言葉を使った人に対する思いやり、の2種類です。

 

前者は当然のものだと思いますが、僕がとりわけ大事だと思うのは後者の方です。

 

相手が何を意図して言おうとしたのか?本当に害意があったのか?どういう文脈で使われているのか?といった、言葉を使った人の意図を深読みして思いやる、ということで、いちいち「はいそれ言った~~アウト!!」といった言葉狩りをしない、ということです。

 

2年ほど前、ダウンタウンの年末笑ってはいけないで、浜田の顔を黒塗りにする演出が大炎上しましたが、それ自体も、はい、黒人をバカにしてるよね。と短絡的に糾弾するのではなく、あくまで演出としてエディマーフィーのマネをしていた、と解釈して黒人自体をバカにする意図はなかったんじゃないか?と考えたりした方がいいんじゃないかと思うわけです。

 

相手がどういう意図でその言葉を使っているのかを踏まえずにいちいち糾弾してたら、それこそリスクを恐れて、みんな自由な発言をできなくなってしまいそうで、最終的にはお互いに不寛容なギスギスした社会になってしまうんじゃないかと

 

もちろん、時代ごとに常識とされることのアップデートは必要ですし、その言葉がこういう意味にもなってしまう、ということを理解することは重要だと思います。

 

ですが、必要以上に糾弾したり、言葉を狩ってしまうことで、みんなが窮屈になってしまうんじゃないかなと思ってしまいます。

 

今のテレビが面白くなくなってしまったとされることにも、そういうリスクを避けて思考停止している世の中に適応しようとしたことが背景にあるんじゃないでしょうか。

 

ポリコレの元々の目的は、ダイバーシティを認め合い皆が生きやすい社会を目指したい、ということだと思いますが、必要以上に言葉狩りをしてしまった結果みんなが生きづらい社会になってしまったら元も子もないなと。

 

ということを考えているんですが、皆さん、どう思われますでしょうか。