三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

警察官の銃使用と「空母いぶき」

最近の事件で、警察官がナイフを持った男に威嚇発砲をした上で、男を撃って逮捕したというニュースを見ました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00010005-saitama-l11

 


その事件では、近隣の住民が動画を撮影しており、その動画によれば、ナイフをおろせ!と声をかけ、その後上空に発砲したうえで、犯人を撃っていました。


その事案に対し、警察は、「適正な職務執行であった」とコメントしています。

 

 

このコメントを見て、改めて違和感を覚えました。

 

 

日本の警察はこんなにも銃を撃てないものなのか‥‥‥と。

 

 

確かに、警官が発砲した時、必ずと言っていいほど、その発砲は適切だったのかを追及されていますし、その問いに答える警察側のコメントがニュースに登場します。

 

 

 

僕は、警察官はもっと撃っていいと思います。鉄砲にもっと頼っていいと思います。

 

 

しかし現状、警察官が発砲するということは、レアケースで、発砲しないのが当然かのように考えられています。

 

 

一説には、警官は銃を取り出すだけでも報告書が必要、とも聞いたことがあります。


現代ビジネスの記事によれば、

銃の発砲で解決すると、日本の警察官は「拳銃を撃つことでしか、事態を収拾できなかった」として、周囲の仲間たちからも白い目で見られる風潮が蔓延しているようです。

参考:「拳銃を撃ちたくても撃てない」という日本の警察のジレンマ」

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56551

 


そうした考え方が、警察官から発砲を遠ざけているのかもしれません。

 

 


さて、撃つことには、大きく2つの意味があると思います。

 


1つは敵の動きを封じること。これは言うまでもないかと思います。


もう1つは、自分の身を守ること。1つ目に近いですけど、アメリカを例に出せば分かりやすいかと思います。アメリカは銃社会ですから、一般人が誰でも銃を手に取っています。アメリカでは、警官に声をかけられた時、上着の胸ポケットから何かを取り出そうとする動作をすると、銃を取り出そうとしていると認識され、撃たれると聞いたことがあります。警官側にしてみれば、撃たないと自分が撃たれるわけですので、怪しいそぶりを見たらすぐ撃つことは、自分が撃たれないようにする対策になるわけです。

 

 

日本は銃社会ではないこともあり、「すぐ撃つ」ことは、警官が自らの身を守ることには繋がらないため、単に犯人の動きを封じる意味合いしか持ち得ません。

 


そうなると、基本的には銃以外で対応せよ、銃に頼るな、という話になりそうです。

 


ちなみに警察の規則では、「構える」「予告」「威嚇発砲」「人に向けての射撃」の4段階を踏まえる必要があるそうです。

参考:「警察官が『威嚇発砲』をするときの条件は?」

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10304822/

 

 

 

いちいちやってられないですよね。笑


というか、こんなことやってたら、被害者が増えるかもしれないし、なんならこういう規則があることから発砲することを遠慮してしまいそうです。

 

 

僕は、社会は警察官にギリギリで戦うことを求めすぎだと思います。

 


銃使用の要件を厳しくするということは、警察官の命を危険にすることを意味します

 


犯人を逮捕する、しかも危害を犯人にできるだけ加えない形で逮捕する、という高い理想は求められる一方で、そのための手段がきわめて制限されている。素手だけで捕まえようとするのは、明らかに危険です。

 

 

 


こう考えると、自衛隊とも近いと思いました。

 


「いぶき」として最近映画化されたマンガ「空母いぶき」を読みましたが、そこでは、専守防衛を求められる中でこちら側を倒すつもりで躊躇なく攻撃してくる中国軍との戦いが描かれています。


いぶきでは、政治は自衛隊に、相手艦の沈没のための攻撃ではなく、攻撃能力を失わせるためだけの攻撃を求めます。


よりターゲットを絞った攻撃が求められるわけです。


敵艦はバンバンと撃ってきますから、そういう極限の状況においてもなお、攻撃の手段がかなり制限されています。

 


自衛隊はそのために日頃からの訓練を積んでいるとはいえ、政治という大きな重しがのしかかり、どちらかというと不利な条件で戦うことを求められています。


戦場において、不利な条件で戦うとは、すなわち自らの命を危険にさらすことを意味すると思います。

 

 

「いぶき」で描かれている状況はフィクションですが、今の日本における議論を踏まえて描かれているため、設定がかなりリアルです。

 


現状の日本の安全保障の議論では、自衛隊専守防衛に徹する、とか敵基地攻撃能力は持たない、などの理想が掲げられているものの、

その理想を声高に主張する人は、いぶきで描かれているような、自衛官が直面する現実を理解しているのでしょうか。

 


政治の高邁な理想は大事だけれど、その理想の追求だけではなくて、リアルな現実、具体的には日本の安全を守る自衛隊員の命、士気も考えないといけないと思います。

 

 

 

政治は、自衛隊に無理を強い過ぎているような気がしています。

 

 


話をまとめます。

 


拳銃をそう簡単に使用すべきではない

自衛隊専守防衛に徹するべき

 

 

警察のケースでは職務執行の際の拳銃使用を厳格に規制し、

自衛隊のケースでは自衛隊員の戦い方を制限しています。

 

 

 

たしかに、今の日本は安全です。治安も凄くいい。

 


けれど、その安全が、現場で戦う人(自衛官や警察官)による緻密な、綿密なオペレーションによって守られていることを意識しないといけないと思います。

現場では自らの命を危険にさらして、ギリギリの状態で頑張ってくれています

 

 

 

僕たちはもっとそういう頑張りに応えるべきだと思いました。

 

 

当たり前じゃないと思います。ムリがあると思います。

 

 

警官の銃使用について、こんなことを思いました。