ダチョウ倶楽部のネタで、
「絶対に押すなよ。押すなよ。」
と言わせて、熱湯風呂などに押して楽しむくだり、
またはその発展形として、
結局誰も押さずに「押せよぉ〜」と言わせるくだりがあります。
このネタは、もはや一般人の間でも流通していて、
「絶対に〇〇するなよ」は、王道のやりとりと化しつつあります。
あくまで自分は普通のフレーズとして「絶対〇〇するなよ。」って言っただけなのに、
その言葉はほぼ必ず、
ダチョウ倶楽部のネタの言葉として、フリとして取り扱われます。
その証拠に、
僕らが会話するときにはこのネタ、
「絶対に〇〇するなよ」だけではなく、
「いや、フリじゃねえからな」という注意までがワンセットとなっているからです。
そうなってくると、
もはや「フリじゃねぇからな」は注意というより、
皮肉なことにそれ自体がフリになって、「〇〇される」または「〇〇してよぉ」に繋がる結果となってしまいます。
実際、一回までの「フリじゃねぇからな」は、フリです。笑
2回くらい言うと、本気っぽい。笑笑
なので、
「絶対に〇〇するなよ」のくだりを本当に避けたければ、
そもそも「絶対に」を付けないか、真顔で伝えてフリづらくさせるくらいしかないんじゃないでしょうか。
さて、言葉には、それ自体が持つ意味と、社会(相手)に受け取られる意味の2つがあると思います。
例えば、おばさんという言葉。
後者の意味から説明すると、
「おばさん!」と言われた方は、大抵、「誰がおばさんよ!失礼ね。」となりますし、
中には口に出さずとも傷つかれる方もいるかもしれません。
しかし、前者の意味としては、
大人の成人女性に対して、
おばあちゃんほどではないが、若いというわけでもないくらいの女性によく使われる一般名称だと思います。
悪意もなく、普通に「おばさん」という言葉を使っても、
受け手や社会にはおそらく頭の中に「これぞおばさん像」というものがあり、自分の中の像と自分が関連付けられてしまったことで嫌な気持ちになる人がいるのかもしれません。
まあ確かに、「おばさん」という言葉によって年齢を感じさせてしまう部分もあるので、失礼さが残ってしまう面もあるんだと思います。
しかし、個々のシチュエーションでは、誰もが「いや、傷つけるつもりじゃなかったのに‥‥‥」「悪意はないんです‥‥‥」のやりとりが繰り返されていると思います。
僕はそうです。
そういうやりとりが各所で繰り返されてもなお、
社会においては「おばさん」=「悪意がある」の図式は成立したままです。
この話、「絶対に〇〇するなよ」と近くないですか?
本人にはその意図はないけれど、社会的な文脈で受け取られてしまうっていう。
(言葉の性質上それはしょうがないですけど、
今回の場合の共通点としては、その言葉を受け取った側の考えすぎだと思うんです。
絶対に〇〇するなよ、はポジティブな意味で、お笑い的な意味での考えすぎ、おばさんはネガティブな意味での考えすぎ。)
絶対に〇〇するなよ、はポジティブな方なので傷つかないからいいですけど、
おばさんの例で言えば、「おばさんだって?失礼ね。」のやりとりが少し不毛というか、無駄に互いが傷ついている・嫌な気持ちになっているだけなので、もったいない気がしちゃいます。
おばさんを使われた側は傷つかないでいいし、使う側も気にしなくていいと思うんです。
言葉にはもっとポジティブに、行きましょう。笑