三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

官僚になって世の中を変えたい?

官僚になって世の中を変えたい!

当時中学生だったボクは、本気でそう思ってました。

 

ちょうど時期は中学生2年生。自民党から民主党への歴史的政権交代の時期。官僚の天下り年金問題、など、政府の信頼が揺れに揺れ、自民党政権がまさに終わろうとしている時でした。

 

父親の影響でニュースを見るようになり、政治に興味を持っていたボクは、デフレ、官僚の不祥事などネガティブなニュースに接する中で、

「自分が官僚になって、世の中をいい方向に変えてやる!」と青臭く決意してました。

改革派官僚として著名な古賀茂明氏の本も読み、(日本中枢の崩壊だったかな?)こんなにも世の中はひどいものかとあきれていたのを覚えています。

 

ちょうど成績もよく、兄の影響で中学生ながら東大進学を考えていたボクはその時、将来東大に入って官僚になり、、世の中を変えてやる!と本気で思ってました。

 

余談ですが、高校に入ってその決意はより強まりました。当時はオスプレイの沖縄への配備で揺れており、報道ステーションで住民が抗議し、沖縄防衛局の職員が隠れながら配備を強行しようとする映像が流れていました。そのニュースを見た時、「住民の声を聞いて、住民を踏みにじるような官僚にはなりたくない。こういう現状を変えたい!」と思い、防衛省に行きたい、と思ったりもしました。

 

2015年の春、何とか無事現役で東大文科一類に合格しました

 

東大に入ると、やはり周囲の環境が素晴らしく、身の回りで多くの人が官僚を志望していたり、実際官僚になっていく先輩もたくさんいました。

さあ、自分も官僚を目指そう、そう考えていました。

 

しかし東大に入って官僚という存在が身近になった中で、なぜかボクはずっとモヤモヤしていました。

 

そのモヤモヤのきっかけは、東大に入ってあるゼミを受講したことがきっかけでした

 

そのゼミは、通称・川人ゼミといいます。過労死問題に従事されている弁護士の川人博先生が講師を務めてくださっているゼミで、「社会問題を現場で学ぶ」をコンセプトに、社会問題の当事者の方をゲストにお呼びして話を伺ったり(拉致被害者家族の横田さん、夜回り先生水谷修さん、年越し派遣村村長の湯浅さん、、、)、フィールドワークと称して実際に現場に出向いて社会問題を肌で感じたり(厚木基地、府中刑務所、未解決事件現場、、、)するゼミでした。そのゼミを通して、日ごろニュースでしか見ない問題の実際の当事者の方の声を目の当たりにし、社会問題を他人ごとではなく、当事者視点で考える大切さを学びました。

 

そのゼミでの学びを通じて、思ったことがあります。

それは、

こんなにも苦しんでいる人がいるのに、そしてその問題自体は認知されているはずなのに、なぜその問題は解決されないのだろうか。なぜずっと苦しみ続けることになっているのだろうか。そんなモヤモヤがありました。

 

 

社会問題がこんなにも沢山あるのに、どうして解決されないまま残っているのか

しかも、官僚や政治家になる人は、優秀な人で意識も高い人ばかり。川人ゼミの卒業生も沢山官僚の方がいます。(僭越ながら)自分のように世界を変えたい、人を救いたいと思って官僚になるような人がほとんどだと思うのに、目の前には、変わっていない(ように思える)現状がある。

 

なぜなのだろうか。

 

結果、そのモヤモヤは、川人ゼミに始まり、川人ゼミに終わるのでした。

モヤモヤを抱えたボクにヒントをくれたのは、川人ゼミ卒業生のとある先輩の言葉でした。

 

社会問題が解決されないのは、社会の無関心が原因だ。

 

その言葉を聞いた自分は、その時ハッとしました。なるほど、そういうことだったのか、と。

 

つまり、社会問題が解決されるのに一番大切なのは、一般の人をどれだけ自分事として巻き込んでいけるか、だということでした。

 

自分より意識の高い人、頭のいい人が官僚や政治家になっているはずなのに、問題が一向に解決されないのは、その人たちがその人たちだけで頑張ろうとしているからなのではないか。例えば自分のように、社会問題の当事者ではない、いわば無関係な人にどれだけ自分事としてその問題を捉えてもらい、「その問題は解決すべきだ。」と思わせることができるか。現状そうしたことができていないゆえに社会問題は解決されないのではないか、そう考えたら納得がいきました。

(世論を形成する、に近いのかもしれません)

 

また、ちょうどその時期、政治を学ぶにつれ「官僚」という仕事の果たす役割の限界を感じていたボクは、なんとなく、官僚じゃないな、と思い始めていました。

 

世の中の無関心を関心に変える仕事がしたい

 

ボクは、あれだけ官僚になりたかったのに、官僚じゃないな、と官僚の選択をしない方向に傾きつつあったのでした。

 

 

そして数ある他の選択肢の中で、

なぜボクは広告会社に入りたいと思うようになったのか。

 

大学入学まで、東進のCMや積水ハウスのCMなど広告は好きでしたが、広告会社で働くなどとは考えたことがありませんでした。そんなボクがなぜ広告会社なのか。

 

広告会社との出会いは、これもまた大学の授業でした。

 

ー渋谷のお土産をブランドデザインするー

 

1年冬、分厚いシラバスをめくっていたボクは、ふと目に留まったこの授業を受講してみることにしました。その名を、「東京大学×博報堂ブランドデザインスタジオ」といいました。1学期間、渋谷やお土産についてリサーチして、分析して、アイデアを出して、新しい渋谷のお土産を考え、発表する。社会人、芸大生含めた7人くらいのチームで取り組む、一方通行の講義しか受けたことのない自分にとっては新しいタイプの授業でした。

 

うんうん唸りながら渋谷について考え、アイデアを出していく。自分では面白いと思っていても、意外とチームメンバーにはウケなかったりする。逆に他のチームメンバーから自分が考えたこともなかった視点が飛び出し、それに色んな意見を重ねることで、さらに新しいアイデアを作り上げていく。

 

ワクワクするアイデアを作りだす過程は文字通り刺激的で、自分の発言でチームメンバーが笑ってくれると嬉しいし、また他の人の発言や発表を聞いて、それ欲しい!面白い!と心動いたことは、数知れず。

 

そんな1学期を通して、人の心を動かすアイデアを作る広告会社の仕事に興味を持ちました

 

「人の心を動かす」ことには無限の可能性がある。

 

自分が授業を通して感じていたワクワクに、そんなことを思いました。

 

そして、ワクワクするアイデアを作ることを通して人の心を動かし、「世の中の無関心を関心に変える」仕事をしたい、と考え、ボクは広告会社に行きたい、と思うようになりました。

 

実際に広告会社でそのような仕事ができるのか、もしなければ、作っていくしかないと思っています。仕事をゼロから作っていく過程こそ、ワクワクするものになるはずです。

 

 

以上が、官僚を目指して東大に入ったボクが広告会社を志望するまでの簡単なイキサツです。

 

そのほか

・官僚の仕事は、課長くらいからは自分のやりたいようにできるが、それまではやりたいことはできない。

セクショナリズムだから、どの仕事に取り組めるかは自分の配属次第。

といったことがわかってきたことで、官僚という仕事に幻滅しだしたことも、官僚志望をやめた理由です。

 

また、なぜテレビ・新聞といったマスコミじゃなくて広告なのか、ということは、また別の機会に…。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

参考

東京大学×博報堂ブランドデザインスタジオ

http://www.bdstudio.komex.c.u-tokyo.ac.jp/