三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

「地域活性化」への違和感

地域活性化。地方創生。

 

就職活動の時、色んな人が「地域活性化」「地方創生」という言葉を使っているのに何か違和感を覚えていました。

あれ、地域活性化って何だっけ。そんなにバンバンできちゃうもんなんだっけ。何のことを言ってるんだっけ…。

 

今回は、地域活性化について考えてみたいと思います。

 

 

 

ボクの地元に、小さな祭りがあります。

毎年10月、街の人は、本番を楽しみに仕事終わりにみんなで集まって練習をし、時には仕事を休んでまで集まりに顔を出す。先輩には失礼のないようにふるまい、後輩には厳しく指導する、その代わり、タテの繋がりはどこよりも強い。そんな、街の人が本気で取り組んでいる祭りがあります。

 

その名を、三谷祭(みやまつり)といいます。

 

町内でさらに地区ごとに分かれた6つの区が、それぞれ山車を引いたり、踊りをして、2つの神社の神に奉納する。そういう祭りです。

三谷の子供たちは、物心ついた時から子踊りとして参加し、小学生になったら山車小僧と称して山車に乗り、チャンギリや太鼓、笛でにぎやかします。

 

ボク自身、小さい頃から参加し、山車に乗ってきました。三谷祭が大好きでした。世界で一番の祭りだと思ってました。

 

でも、三谷祭にはボクが思う欠点が一つありました。

 

それは、よそ者に対して非常に閉じているということです。

 

もちろん、どこの祭りも、誰でも担い手になれるというわけではないと思います。

三谷祭は、担い手の点で閉じているというのはもちろんですが、観光客という点でもクローズドだと感じていました。

 

例えば、タイムテーブル。

時間ごとにこういうことがある、と書いてあるのですが、それがわかりづらい。

 

17時:中区練り終わり

10時:神船定位置入り

的なことがズラリと書いてあるだけ。

いや、いいですよ、地元の人には。何度も見てるからどこで何がいつあるかも何となくわかってる。

 

けれど、外から見に来た人には、なんのことかさっぱりわからないのではないでしょうか。どこで誰が、何をやるのか。どこで見ればいいのか。祭りのポスターは駅やお店に貼ってあるけれど、詳しい案内は、どこにもない。

 

まさに、地元の人の、地元の人による、地元の人のための祭り、とでも言えるのではないかと考えていました。

 

 

そんな三谷祭がもったいないと、ずっと思っていました。

もっと外に周知して、もっと丁寧に案内すれば、街の観光に一役買えるかもしれない、なんて考えてました。

 

少子化もあって担い手も減少しているお祭りです。担い手ももっと外部に開けばいいじゃないか。

(基本的には当該地区に住む人しかその地区の保存会に入会できない。ただ、その区に親戚が住んでいる場合のみ、よそ者でも入会できる。という決まりがあるようです。)

 

高校・大学と地元を少し離れて地元を客観的に見られる(と思っていた)ボクは、そんなことを考えてました。

いわゆる、地域活性化??(笑)

 

 

 

でも、それって違うんじゃないでしょうか

 

だって、この祭りって、地元の人が年に一度、楽しみにしてる、自分たちのための祭りだから。別に、観光とかどうでもいい話だから。いうなれば、来たけりゃ勝手に来いって感じ?

 

よくある話が、

「この○○って、地元の人は気づいていないけれど、観光のポテンシャルあると思います。もっとPRしていきましょう!!」とか、

「もっとよそ者を絡めて盛り上げていきましょうよ!!」とか。

 

地域活性化」(「地方創生」)の名のもとに、こういったことが、色んな所で起こっているような気がします。

 

でも、ボクはそれは地域活性化じゃないと思います。

 

地域の人にとっては、

よそ者が勝手に自分たちのところに現れて、勝手にお金儲けの話をし出して、「地域活性化」の錦の御旗の下に自分たちのコミュニティを荒らしていく。

 

活性化しようとしているその○○は、もしかしたら地元の人が代々受け継いだ大切なものかもしれません。よそ者にはわからないストーリーがそこにはあるのかもしれません。

 

そうした背景を無視して、

(一部背景をくみ取ることができる場合はあるかもしれませんが、ちゃんと移住しない限り完全にそのストーリーに当事者として乗り移ることはできないのではないかと思います)

ポテンシャルはないか、これ活用できるんじゃないか、どうやったら外の人にウケるか、とリサーチして、それっぽいアイデアを提案する。時にはそれを実行する。

 

 

でも、地元の人が本当にやりたいと思えたり、今まで暮らしてきた生活の文脈に合うものじゃないと、一瞬限りで終わってしまうものになってしまうのではないでしょうか。意味のないものに終わってしまうんじゃないでしょうか。

 

そう考えた時、「1つの街を盛り上げる」って、本当に難しい課題なんだと思います。

 

 

地域活性化って、東京目線の言葉なんだと思います。

そこに住んでる人は、そんな言葉は使わないと思います。

だって、「地域」なんてそもそも不特定多数の言葉だし、普通自分の街を盛り上げたい、地域⇒○○(街の名前)が入りますよね。

 

どこかに、地域は活性化すべきもの。啓蒙すべき相手。というニュアンスが入ってしまっている。

 

就職活動の時、色んな人が特に深く考えずに『「地域」活性化』「地方創生」という言葉を使っているのに何か違和感を覚えていた正体は、これなのかもしれません。

 

ホントは「地域活性化」なんて存在しない。

 

その街その街が、その街に住む人の考え、感情、歴史に基づいて、その人たちが目標に向かって頑張るもの。よそ者の知ったこっちゃない。(ただ、助けを求められた時は、助けに行くべきです(笑))

 

地域活性化って、魔法の言葉だと思います。あたかもそこに大義があるかのように見えてくる。

 

けれど、そもそも「地域を活性化すべきって考え方」が乱暴なんだと思います。

 

その街にはその街の文脈がある。住んでる人の考えがある。

 

極論言えば、人口が減ったって、いいじゃないですか。高齢者ばかりになったって、いいじゃないですか。幸せになれるなら。

 

でも、住んでる人が危機感を持ったら、その時頑張ればいい。暴論かもしれないけれど、よそ者はその時まで口を出さなくてもいいのかもしれない。(求められたら出すべきだと思います)

 

 

地域活性化」って言葉は、存在しないのではないでしょうか。地域活性化という言葉は、幻想だと思います。

 

違和感の正体はこれなのでしょうか…。

 

まだまだ正解を見つける道は、長そうです。