三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

人事から戦争を読み解く。

日本が中国との戦争にはまり込んだ1930年代。

 


どうして戦争に入り込んだのかについては、数々の研究が明らかにしています。

 


統帥権の問題で政府が軍部に口を出せなかったこと?

関東軍が暴走したこと?

報道機関が煽ったこと?

また経済恐慌で日本が外部に敵を求めたこと?

 


さまざまな見方がある中で、「陸軍の人事」の観点から、戦争を解き明かしたのが、この本です。

※この本はおすすめとかではなく、マジで買う必要はないコアな本です。笑

こういうのが好きな方は是非。笑

 

 

 

たまたま過去に買っていて、積読されていたものを、たまたま手に取ってみたらめちゃ面白かった。

 


この本によれば、日中戦争の泥沼化は、陸軍の人事の観点からも説明がいくようです。

 


陸軍には日露戦争以来、陸士18期・19期問題がありました。

 


日露戦争中と言うことで大量採用が行われた結果、明治37年、38年(1904年、1905年)に入校した陸軍士官学校の卒業生は、前後の期の3〜4倍に膨れ上がり、1000人近い卒業生を抱えていました。

 


補足すると、陸軍士官学校は幹部となる将校の候補生を輩出する教育機関で、幹部になるためにはここを卒業する必要がありました。逆に言えば、ここを卒業したら幹部への道がほぼ約束される、そんな学校でした。

 


平時では、陸士を卒業したら各師団に配属され、中隊長からキャリアをスタートします。日露戦争当時、各師団には48中隊がありました。


仮に日露戦争後に出された帝国国防方針に掲げられた「平時25師団、戦時50師団」が達成されると、25×48で1200中隊、戦時には2400中隊を抱えていることになり、18.19期の卒業生全員を中隊長として迎えられる計算になります。

 


ただ、大隊長、連隊長ましてや師団長となると、ポストは限られるわけで、より選抜されることになってしまうため、人事上安定させるには、充分なポストが必要になります。

 


さて、そんな人事上に希望を満たす帝国国防方針は、実現されたのでしょうか。

 


 


実際は、大正14年(1925年)の軍備整理(宇垣軍縮と呼ばれる)によって、平時17個師団体制となりました。


大正5〜7年(1916年〜1918年)に中隊長ポストはなんとか終えた18・19期生に取ってみれば、その先の大隊長・連隊長・師団長ポストはどうなるのか?と心配だったに違いありません。このまま上に上がれるのか?という不安です。


そんな不安の中、1932年に二・二六事件が起きます。

 

陸軍将校による事実上のクーデター未遂で、この背景には、前述した通り、ポスト上の将来への不安があったとも言われています。

 

この事件の結果、上位部隊の指揮官らが一斉に予備役(現役ラインから外れる左遷)に入り、本来現役バリバリで活躍する人も、部下の不手際で予備役に入ることを余儀なくされます。やっとこさ昇進して次は我こそ、というときに予備役、とは、悔しかったことでしょう。

 


陸軍内で不安が増大し、爆発しかけている最中に起きたのが、1937年、盧溝橋事件に伴う支那事変(日中戦争)でした。

 


体制は戦時体制となって部隊の規模は拡大、予備役に入った幹部陣も勇みだって出陣していくことになった結果、どんどん収拾がつかなくなってしまったわけです。

 


そんな中、言葉は悪いですが、仮に戦争が収拾ついてしまい、部隊規模を平時に戻すとなると、ポストを減らさなければならず、あぶれる人が出てきてしまいます。

 


そしてその当時は部隊が増大しすぎて、階級のインフレも起きたようで、どんどん昇進が進んでいきます。

 

終戦して部隊規模を縮小するとなると、そうした階級面でも降格の必要が"出てきてしまう"ことから、現場の将校たちにとっても、戦争が続いてくれることは望ましいことだったんです。

 


そうした背景もあって、支那事変がどんどん拡大していったことは、"合理的に"説明がつきそうです。

 

 

 

人事の観点が全てではないにせよ、人事の観点から軍を見るとめちゃくちゃ面白いなと思いました。

 


この本に併せて書いてあることとして、敗戦の原因として、軍部の人事が戦時中もなお平時の人事のままであったことが挙げられます。

 


平時の軍の人事では、戦闘がないため士官学校などでの成績や年次が昇進の参考とされますが、戦時はそうしたものよりも、勝てる人を上に立たせるしかありません。

 


日本はそれができませんでした。戦時でも平時の秩序を守ろうとしてしまった。

 

この本で挙げられているのは、海軍の話にはなりますが、海軍で大将に昇進させる人を選ぶ際、緒戦で敗退を重ねた井上成美が大将になり、戦闘で活躍した小沢治三郎は選ばれなかったことです。海軍士官学校の席次を示すハンモックナンバーは、井上は2番、小沢は45番でした。そのほかにもさまざまな事情はあるかもしれませんが、席次が重視されたことは想像がつきます。。。そんな平時の人事が戦時中にも行われていたようです。


(加えて、この本で書かれていることから推察するに、陸軍では、戦闘をする現場よりも中央が重視されており、成績の良い人が中央の参謀本部陸軍省に配属され、彼らが実権を握って官僚統治になっていたことも、事実上"軍"として機能していなかったことを示しているのではないかとも思います。彼らは敵と戦う軍ではなく、あくまで"官僚"になっていたんだと思います。)

 


※事実、陸軍軍人の東條英機元首相は、中隊長や連隊長、参謀長を経験しているものの、ほとんどのキャリアを陸軍省参謀本部といった職場で過ごしており、想像するような"軍人"ではないことが伺えます。

 

 

 

なるほど、人事が世の中を動かす肝とも言われますが、かなり奥深く、めちゃくちゃ面白いなと思った本でした。意外な出会いってありますね。