三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

「ミスなき社会」は正義か?

コロナ禍によるダメージで経済的に大変な方に向けた公的な支援がたくさんあります。

 


1人一律10万円配られたものもそうですし、休業補償金や、雇用調整助成金などなど、、、

 


ですが、なかなか支給が進んでいない現状をよく聞きます。

 

「時短要請に応じたのに協力金が支給されない!」 東京都の支払い遅延に憤る外食企業:協力金支給率たったの18.9%(1/3 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン

 

 

どうやら、書類を確認して、不備を埋めるなどの手続きに時間がかかるようです。

 

参考:こんな記事もいっとき話題になってました。

なぜ10万円給付に時間がかかるのか|東修平(四條畷市長)|note

 


一刻を争うお金なのに、手続きが煩雑で、申し込む側も、申し込まれる側も、双方に過度な負担がかかっている状況だと思います。

 


アメリカだと、同様の給付金は2週間弱で届くくらい、スピーディな対応だそう。

給付わずか3割、滞る政府の家賃支援 「早く助けて」個人事業主ら悲痛:東京新聞 TOKYO Web

 

 

もちろん、それは、手続きの処理上のスピードも大きいと思います。上記のニュースは個人給付についてですが、アメリカは社会保障番号が普及し、それが口座と紐づいているため、デジタル上ですぐ支給できる。

 

一方で日本はマイナンバーすら浸透していない始末。

 


ただ、そういったソフト面での違いはあるかもしれないですが、1番はマインドセットとしてのOSの差なんじゃないか?と思うわけです。

 


それはワクチンにすごく現れています。

 

これは、日経新聞の記者のルポですが、アメリカのワクチン接種の現状がつぶさに描かれています。

 

米接種、スピード優先: 日本経済新聞

 

初回の接種のときから、現場で確認されたのは名前と生年月日くらい。

 

病院内の混雑が緩んだことと医師や看護師が手順に慣れたおかげもあり、2回目の接種のために病院に滞在していた時間は30分ほどで済んだ。

 

問診票は書くものの、住民であることを示す証明書の提示を求められるわけでもない。言い方は悪いが極めて緩い。

 

最後はこう綴られます。

 

58万人超という日本とは比べものにならない多数の死者を出しながら、なぜ米国はなお楽観的でいられるのか。

 

ワクチン接種の現場から感じるのは、細かな無駄は気にせず、とにかく圧倒的な物量で兵たんを充実させ、最後に勝てばいいという思想。戦時と同じ超大国の発想で、米国はコロナと戦っている。

 

アメリカは、今を戦時中と捉え、ワクチンを行き渡らせることが最優先。
(もちろん、ここまで緩いのは、接種が一定程度行き渡ったこともありますが、それにしてもです)

 


一方の日本は、丁寧に丁寧にミスのないよう手続きする。じゃないとミスを突かれて批判されることを恐れているからでしょうか。

 

※首長のワクチン接種も批判されてますしね。

首長のワクチン接種はアリか? - 三男日記

 


また、ひどいなと思ったのは、急いで作り上げた接種予約サイトの不手際を、それみたことかというように叩くメディアの姿勢も問題だと思います。

(この場合、権力を監視するというジャーナリズムを履き違えていて、手段が目的になってしまっているように思えます)

 

岸防衛相「不正な予約は接種機会を奪う悪質な行為」 ワクチン大規模接種の予約システムは「可能な範囲で改修」 - ITmedia NEWS

 


今は戦時中なのだから、ある程度のミスを許容してまでも、急ぐべき理由はあるはずです。

 


ワクチンも然り、給付金も然り。

 


ミスがあれば、後で戻せばいいし、多く給付しちゃったりしても、行き渡るべきところに行き渡れば、誰も文句は言わないでしょう。というか、言わない社会であってほしい。

 


ノーミスしか許されない社会を続けていることの限界が、コロナで露呈したように思います。

 


普段は多様性の文脈で語られることの多いノーミス批判ですが、コロナ禍を経て、社会のOSとして、ノーミス信仰が前提にあることの弊害が顕著に見られたように思えます。

 


少しくらいミスっても許される社会であってほしいなと思います。