クレーマー。
テレビでも、なんでも、クレーマーは面倒臭いとされています。
また抗議しやがって‥‥‥と。
まあ確かに、一部のクレームには、なんの意味があるんだというこじつけもあるかもしれません。
時間的に暇な人が、自分の話し相手としてクレーム対応窓口に電話してるという話も聞いたことがあります。
でも、クレーマーの気持ちはわかります。
僕も時々文句言いたくなる時があります。
このままだと、まずくね?みたいな。
これこうしてくださいよ、みたいな。
でも、そういうことを表に出すと相手に面倒臭がられるのわかってるから、言うと逆にストレスになるから言わないようにはしてます。放っておきます。
でも、つい出てしまう時はあります。
それは、そのサービス、商品が好きな時です。また使いたいと思ってる時です。
何が言いたいかというと、
クレーム、
それを実際に可視化された形で表す人
(それをクレーマーと称しますが)は、
そのもののファンだと思うのです。
好きだから、これからも使いたいから言っちゃうんだと思うんです。
そのモノを使って嫌な気持ちになることが我慢できない人。
つまりクレームは、そのモノの改善にコミットしてる証なんだと思うんです。
失望しました、もう2度と使いません、という人もいますが、
それほどそのモノに期待していたということだと思います。
期待してたのに裏切られた‥‥‥という。
ストレス発散をしているクレーマーもいるのかもしれません、一部の心無い言葉を発する人もいるのかもしれません。
でも、一部のそういう人以外のクレーマーとは、
世の中をもっとよくしようというアクションをしている人だと思います。
街中とかでも、時々人を注意する人がいます。確かに、言われる側からしたら、誰に言われてるのかわからないから、面倒くさい。
逆に注意した方がジロジロ見られて、注意した方が悪いみたいになってる時もあります。
でも、全体で考えたら、その人は自分の時間、思考を費やして自分が心地よくいられるために声を発しているわけで。
自分の心地よさというのものは多くの場合全体の心地よさにも直結するものだと思いますから、その人は世の中のためにコミットしてるともいえます。
言ってもしょうがない、と放置してる人も、その人の注意のお陰で世の中が良くなったらその利益を享受できるんです。
だから、クレーマーを悪く言ってはいけないような気がするのです。
広くいえば、イノベーションも、クレームから生まれるともいえると思います。
これはなんでこうなんだろう、もっとこうすべきじゃないか、というようなクレーム。
クレームのない世界は、進歩のない社会だし、クレームを表に出さない、みんながみんな諦めちゃってる社会は、寂しい社会な気がします。
サービスとかに限らず、身近な組織でも、政治の世界でも。
特に政治の世界はそうですね。
おいおいまた言ってるよ‥‥‥
と達観されがちです。
メディアや野党の批判も、どうせ口だけだ、うるさい、と捉えられたりもします。
でも、そう言うクレームがあるからこそ、緊張感が生まれるし、誰かに気づいてもらえたりもします。
クレーマーがいるから、世の中はうまく回ってるし、これからも進化し続けるのだと思います。
クレーマーが世界を変えてるんだと思います。多分。