三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

参議院は、面白い。というか、要らない。

参院選挙が迫っています。

 


4日に告示され、いよいよ選挙戦がスタートしました。

 


今年は、2019年。


亥年選挙です。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/亥年選挙

 


参院選挙は、任期6年で、3年ごとに半数ずつ改選されるので、3年に1度選挙があります。統一地方選挙は、首長や地方議員の任期は4年ですから、4年に1回あります。

その最小公倍数である12年に1回の選挙が、亥年選挙と呼ばれます。


亥年選挙では、毎回自民党が負けるというジンクスがあり、ちなみに前回の亥年選挙は、第一次安倍晋三政権の2007年でした。この選挙での自民党の大敗がきっかけで安倍政権は退陣し、福田康夫政権となりました。

 

 

 

さて、亥年選挙は措いておいて、

参議院です。

 

 

参議院に関しては、こんなことが言われています。

 


衆議院が賛成したものを追認したら参議院は無価値であり、

衆議院の賛成したものを否決すれば参議院はただの邪魔者である。

 

というものです。

 

 

 

前者については、よく言われていることです。参議院は、良識の府として6年の任期が与えられ、解散を伴う衆議院に比べて、長期的な視点での国家運営を期待されて誕生したとされています。


参議院の起源は、大日本帝国憲法下の貴族院です。


とある説によれば、GHQ貴族院を廃止にしようとしたらしいですが、貴族院側が必死に働きかけて、参議院という形でなんとか存続させたみたいです。


ですけど、与野党の構成が衆参両院で同じだったら、基本賛成、可決で通っちゃいますよね。

 


だから別に参議院は不要である、衆議院だけで良いのではないか?というのが、この、前者の主張です。

 


一方後者。

参議院衆議院の議決を否決したら、参議院はただの邪魔である、という主張。


これもこれで正しい気がするんですよ。


最たる例は、自民党政権の末期の安倍〜麻生政権のとき。


まさにねじれ国会というべき、衆議院の多数党は自民党参議院過半数は(当時の)民主党が確保していた状況でした。


その時はことごとく自民党の政策は否決されたり、民主党との妥協を求められていました。


ねじれ国会の苦境が最も端的に現れたのは、福田康夫総理が、民主党小沢一郎代表に大連立を呼びかけたことでした。

それほど、総理たる立場として政策を推し進めるうえで追い詰められていたのでしょう。

 

 

 

実際、参議院は想像以上に大事な存在です。


日本ではよく、「衆議院の優越」を習います。二院制のもと、参議院より衆議院の方が優越的な権限を与えられているというものです、

 

しかし、実態は異なります。というか、実際は割と対等です。


それが現れたのは、2つあります。


1つ目は、特例公債法案でしょうか。

 

衆議院の優越として習うのは、予算法案の可決など、国家運営の重要事項に関するものは衆参両院での議決が異なった場合は衆議院の議決が優先するというものです。


ですが、いわゆる「ねじれ国会」で見えた景色は違います。


予算の法案は通っても、特例公債の法案が通らないのです。

 

補足すると、予算の使い道の法案は衆参両院でどんなに対立しても衆議院の議決が優先されますが、予算を支える収入である歳入のなかの国債費については別途法案の可決が必要なのです。

(財政法という法律によるhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/特例公債法)

 

ねじれになると、毎回その法案が人質(法質)にとられて、与党はそれを意識せざるを得ません。結果として、与野党が衆参両院でねじれていると予算の前提になっている特例公債法案が成立せず、予算も執行できず、何も進まなくなるのです。

 

 

 

2つ目は、三権分立です。

行政府の指揮権は、意外と立法府まで及ばないのです。特に参議院は。


しかしながら一方で、

小選挙区制が導入されて以降の政治変化として、首相の権限が強まったというものがあります。


代表的な例が、派閥の衰退です。中選挙区制小選挙区制に変わったため、各選挙区での1人の自民党の公認を得るためには、党の総裁・幹事長の承認が必要になりました。


中選挙区時代は、各選挙区から2〜3人が当選するという状況のなかで、野党第一党社会党は政権を取るつもりなどなく、憲法改正に反対できる3分の1さえ確保できれば良かったので、自民党だけが各選挙区で複数の候補を擁立していました。


自民党の候補者たちは、ライバルが野党だけではなくて自民党員となると、自然に自民党の主張だけではなくて個別の主張をして、自民党の候補者たるライバルと差別化する必要が出てきます。


そこで生まれたのが派閥です。派閥ごとの主張で差別化し、派閥ごとの主張で当選し、いうなれば派閥のカネで当選し、党内に総裁の主張のみならず多様な主張が存在し、自民党の中の派閥のなかで総理総裁の座を回し合う、いわば擬似政権交代と言えるべき状況がありました。

 


しかし、小選挙区制の導入に伴い、各選挙区から1人の衆議院議員を選出することになったので、総裁の力は強まりました。


党から唯一の候補しか認めないということになったので、従来認められていた多様性というよりもむしろ、総裁の主張に沿った候補しか自民党の議員候補として認められなくなったということです。自民党としての公認権です。


一番わかりやすい例が郵政民営化をめぐる衆議院解散総選挙でしょう。

小泉純一郎総理が目指す郵政民営化を実現するために衆議院が解散され、郵政民営化に反対する議員は自民党の公認を得られずに自民党に刺客(対立候補)を立てられました。

 

 

でも、あれ。

郵政民営化って、なんで衆議院解散が必要だったのでしょうか。総裁の力が強まれば、自然とその推し進める政策も実現されるものではないのでしょうか。

 


長くなりました。

その答えが、参議院にあります。

 


参議院郵政民営化法案を否決したからこそ、郵政民営化を巡って衆議院解散が起こったのです。


選挙改革による公認権の話はどこにいったのかと。

総理総裁の力が強まったんじゃないのかと。

 


参議院については、総理総裁の権限はあまり及ばないんですね。

 


1番の肝は公認権というか、解散権です。

衆議院の解散。


参議院衆議院と異なって、1回当選すると6年間の任期が保障されます。衆議院は、4年の任期とはいえ、いつ解散があるかわかりません。解散とは、選挙のことですが、その解散を決めるのは、内閣総理大臣です。


議員はみんな選挙が嫌なんですね。

だから、解散権を持つ総理総裁の意向を気にせざるを得ない。だから総理大臣の立場にしてみれば、自分の言うことを聞かせることができる。

従わないと解散するぞ。

従わないと公認しないぞ。

と。


ですけど、参議院は、違います。

端的にいえば総理総裁の立場からすれば、

脅す文句がないということです。

権限もないということです。

解散できないし、一回当選したら6年間一緒なわけです。その6年間に何か自分の意向と反することをされても、何も総理はタッチできない。従わせるための武器がない。

 


だからこそ、小泉総理でさえ、参議院には気を遣い、青木幹雄はじめとした参議院のドンが生まれ、閣僚の枠に「参議院枠」が安定して存在しています。

 

 

 

話を戻します。

 


なんの話だったかというと、

参議院が大きい存在だということです。

 

1つ目の例が公債法案を始めとしたねじれ国会、

2つ目の例が総理の力が参議院にまでは及ばないこと。

 

 

 

要は、参議院って、想像以上に国政に大きな影響を持ってるということです。

 

 

 

参議院って、想像以上に重いです。

 

 

 

ねじれたら、相当以上に国政がスタックします。

 

 

 

与党の立場からいえば、政策が止まる。

野党の立場からいえば、政権に一家言いえるようになる。

 

 

まあ、正直僕は今の選挙制度のままなら参議院いらないと思いますけどね。

 

 

240人もいて、良識の府を期待されて、6年の任期を与えられているのに、結局党派争いで、今は衆議院の追認機関と化しています。かといって否決ばかりしても面白くない。物事が前に進まない。

 


例えば戦前の貴族院や、イギリスの貴族院みたいな方式だったら意味があるような気もします。選挙関係なく選ばれた人たちが(エリート主義に近いかもしれませんが)、国家のことを考える。

(ちなみに、イギリスは選挙で選ばれる下院と貴族院にわかれていて、民意を尊重して下院とは異なる議決はせず、貴族院はあくまでも修正にとどめるそうです)

 


240人もいらないですよ。現状のように党派性があるままなら。

 


選挙制度も、衆議院で代表されていない民意を表しているとは思えない。

 

 

 

 


さぁ、そんなことは措いておいて、参議院選挙です。

 


特定の政党は推すことはできませんけど、与党以外に入れるならば、反対ばかりの野党ではなく、しっかりと政権を取った後を見据えている野党に入れるのがいいのかなぁと思います。

 


参議院は、想像以上に奥が深く、面白いと思います

 


以上です。