僕はよく、人にぶつかられます。
というと、語弊がありますね。普段割と僕がキョロキョロしているので、不注意に前の人とすれ違いざまにぶつかることも多いんです。
また、僕は体格はそんなによくないですから、ぶつかって「あっ」となっても、押されるのは僕の方で、毎回押し切られます。ガタイのいい人の時はめっちゃ痛い。
そこはいいのですが、ぶつかってしまった時、毎回僕は「すみません」と言おうとして振り返るのですが、
多くの場合、というかほぼ全ての場合、
相手は全く気にしていません。
というかぶつかっても気にしないフリをされます。
まさに「無関心」です。
そんなこといちいち気にしていたらきりがないけれど、なんか気分悪いんです。
全く関心を持たれていない感じがちょっと寂しい。笑
相田みつをの詩で、こんなものがあります。
セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どっちかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう
そういうわたしはいつもセトモノ
ACジャパンのCMでは、この詩をもとに人と人のぶつかり合いの映像になっていましたが、真理をついている気がします。
やっぱり、この世で完全に「1人」では生きていけない以上、セトモノであり続けると、柔らかい心を持つ人に無理をさせてしまうことになってしまう気もします。
ゴミのポイ捨てとかもそうですよね。誰かが我慢して、その人のゴミを片付けてくれている。
とまあ、偉そうなことを言いましたが、僕も色々他の人に迷惑をかけたりしているので、人の事は言えません。実際。笑
自分のことは棚に上げて、無関心の話に戻ります。
多分、人に無関心なのは、知らない人をそんなに気にしている余裕もないし、関わること自体が面倒だ、ということだと思うんですね。
自分のためのバリア、予防線として、無関心を装っている。
けれど、その無関心は、自分を傷つけはしないかもしれないけれど、相手を傷つけることもあるのかもしれません。
アリストテレスの言葉に、
人間は社会的動物である
というものがありますが、
多分、人間は人との関わりでしか生きていけない以上、人に関心を持たざるをえないのかもしれません。
確かに、1人で生きていけるとはいえ、やっぱり人から必要とされたりすると嬉しいし、存在価値が認められた気がします。
1人よりも、何かしらの面で人の温かみが欲しい気もします。
もちろん、ぶつかられた時も。笑
今、コンビニで人手不足のために無人化が試みられたり、ロボテックの発展でもしかしたら全自動全無人の店舗が技術的に可能になりそうです。
現にガソリンスタンドは、
もはや人がいない(セルフ)が当たり前になっている感があります。ガソリンスタンドの場合、人がいなくてもそんなに苦労はしませんよね。
ただ、「全部無人」の世の中は来ないような気がします。
というより、全部無人との心理的距離が近くなったからこそ、人がいることそれ自体に価値が出るという感覚が大きくなると思います。
やっぱり、人の温かみは大事です。
冒頭の話に戻ります。
今の世の中はスマホを通じていつでも知り合いと繋がっていられるからこそ、目の前の人への柔らかさを忘れかけているのかもしれません。
目の前に人といるのに、
スマホで別の友達とずっと連絡を取り合ってる人とかもいますし。
仲良い人の方がラクですもんね。気使わないし。笑
けれどやっぱり無関心は辛いです。笑
ぶつかった時に、なんか反応欲しい。笑
かといって怒られるのも嫌だなぁ。
なんなんだろう。
人との関わりはむずかしい、そんなことを思いました。