三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

蒲郡地域活性化プランコンテストを立ち上げる②

前回からのあらすじ

地元が廃れていくことに危機感を抱いていた僕は、地元の課題は、住民の無関心にあると考えました。そんな時、2016年9月に鯖江地域活性化プランコンテストに参加し、住民の人の当事者意識に感化され、同じようなプランコンテストを地元でもやりたい!と思いました。


そして、地元でプランコンテストを開催するための活動を始めることになりました。

 

2.なぜプランコンテストを開こうと思ったか?

地元にて

鯖江に感化され、地元でもプランコンテストをやろうと思い立った僕は、市民の街の課題に対する無関心を関心に変えることを目的に、プランコンテストを立ち上げようと地元の同級生に声をかけました。

 

僕の熱意にほだされたのか強引に巻き込まれたのか、多分後者ですが、彼らには半ば無理やり付き合ってもらうことになりました。


そうして、蒲郡のプランコンテストをどう作っていくかという議論が始まりました。

 

鯖江蒲郡のプランコンテストの大きな違いは、テーマ設定でした。

鯖江のプランコンテストにはテーマはなく、鯖江を活性化するプランを参加学生が自由に立案するというものでしたが、

蒲郡でプランコンテストをやるなら、

大学生が来ても街が横に広くていろんな名所を行き来しづらいため、テーマを1つに決め、絞りたいと思っていました。

また、鯖江との差別化を意識して、テーマで勝負したかったということもありました。


同級生と焼肉を食べながら案を出しあったり、最初よくわからない大学生だった僕の持ち込み提案に真剣に相談に乗ってくださった市議さん、市役所の方と話し合う中で、

名鉄蒲郡線」という鉄道がテーマとして頭に浮かびました。


名鉄蒲郡線とは、赤字赤字だと噂され(実際赤字なんですが)、名鉄廃線したいのですが、蒲郡市などの税金が投入されているのでなんとか維持されている路線でして、

企画し始めた2017年当時はちょうど、

2年後までの補助金の投入が決まっていましたが、それ以降の予定が未定、

つまり廃線になるかもしれないという危機が迫っている時でした。


見つけた時、これだ!と思いました。

(調べれば調べるにつれその直観は確信に変わりました)


当初のプランコンテストの目的は、市民の無関心を関心に変えること、です。


この廃線の問題は、2つの点からそのテーマにあっていたのでした。

 

1つ目は、沿線か沿線でないかで住民の間の意識が違うことでした。

名鉄蒲郡線が走るエリアの住民にとっては、この路線は通勤通学の足であり、税金を投入しても維持してほしい路線である一方、

この路線を使わないエリアの住民にとっては、こんな赤字の路線になぜ税金を使うのか?と思う人もいれば、同じ街の課題なんだけどもそもそも関心がない人もいて、

街の中でも関心、問題意識に違いがありました


2つ目は、沿線住民でさえも、他人事感が漂っていたことです。

沿線の住民の人に話を聞いてみると、皆、維持したほうがいい、廃止すべきではないと言うのですが、肝心のどうすれば守れるか?どうすればいいか?までは考えていませんでした。

仕事などで忙しいから限界もあるのかもしれませんが、守れ守れ!と言っているだけで守れるとは到底思えませんし、

もっと自分ごととしてこうしよう!こうすればどうか?といったような生産的な話をしていくべきではないのか、

もっと住民が考えないといけないのではないか?と思いました。


余談になりますが、

蒲郡市には、赤い電車応援団という組織があります。

この組織はその名の通り、赤い電車(名鉄蒲郡線のことです)を守ろうと市民が集まって運動をする団体で、定期的に大会を開いたりしていて、広報誌などで名前だけは元から知っていました。

僕はもともとこの組織は住民が自主的に組織して声をあげたものだと思っていたのですが、この団体は、実態は市が事務局となり、地区の総代、小中の校長などが肩書き的に集められた形だけの組織だということがわかり、衝撃を受けました。

詳しい設立の経緯は知りませんが、名鉄に対して市が、市民がこんなに声をあげているんだ!とアリバイを作るための組織なんじゃないのか?と疑いを持ちました。これじゃあ名鉄も動かされないだろうなぁとも思いました。


話を戻します。

1つ目より、名鉄蒲郡線の課題に、沿線じゃない住民の関心を集めたい

2つ目より、沿線住民がもっと自分ごととして考えられるようにしたい

ということから本来の目的に合致していたので、テーマを「名鉄蒲郡線」に設定し、そのテーマで全国から大学生を集めて第1回蒲郡地域活性化プランコンテストを開こうということになりました。

 


3.実行しようと思った経緯

さて、2では地元でなぜプランコンテストを開こうと思ったか、について書いてみましたが、ちょっと飛躍がありますよね?笑

 

普通、思っても実際行動に移す、ということはあまりないと思います。僕も思いついたことを全て実行しているわけではありませんし、このコンテストをやるまではそのような疑問を持つ側の人間だったのでわかります。


その疑問は、つまるところ、

鯖江のプランコンテストに参加して、なぜ地元ですぐやろう!と、実行しよう!と思ったのか、そしてなぜ実行できたのか、というところだと思います。


その部分に関しては、自分の中での別軸の話がありますので、その話をして補いたいと思います。


大まかな流れは、

イデアに興味を持つ

イデアの実践に興味を持つ

という2段階です。以下説明していきます。

 


イデアに興味を持つ


この場合の「アイデア」とは、課題解決のためのものというよりも、従来の視点とは違った視点で物事を捉えた新しい発想、という意味です。


2015年の冬学期、大学で博報堂ブランドデザインスタジオという授業を受けました。

1学期かけてチームで「渋谷のお土産を考える」授業で、渋谷のリサーチをし、お土産とは何かを考え、それを掛け合わせてチームで新しいアイデアを出していく過程が面白くて魅力に感じ、

イデアを出し合うワークショップやアイデアコンテストのようなものに色々と参加していました。

  

その過程で、鯖江地域活性化プランコンテストというものに出会いました。それが2-②の話になります。


イデアの実践に興味を持つ

さて、アイデアを出すことに楽しさを覚えた僕ですが、どこか物足りなさを感じていました


ブランドデザインスタジオもそうですが、出したアイデアは空想上のもので終わってしまう。実現しないまま終わってしまうんですね

そこにモヤモヤを抱えつつ、鯖江のプランコンテスト含め、アイデアを出す活動に参加していました。


そんな折、ネットサーフィンをしていると、ある言葉に出会いました。

 


イデアに価値はない。アイデアを実行して初めて価値がある

 


確かGoogleの会長の言葉だったと記憶していますが、その言葉を見て、元々のモヤモヤもあり、ハッとしたわけです。

 


あ、自分がやっていることは何も価値がないことなんだ。

イデアだけの人間はダメなんだ。

 


そう思った時、まさに僕は2-②で説明した通り、鯖江のプランコンテストは面白いなぁ、地元でもやれないかなぁと考えていた時だったのです。

 


イデアだけの人間は嫌だ!

せっかく地元でプランコンテストをやることを思いついたんだからやろう!

今やらないと、地元がなくなってしまうかもしれない


などなどいろんな思いが交錯した結果、実行するに至りました。

 

 

 


以上1~3の流れとして、僕は2017年9月、地元蒲郡で第1回蒲郡地域活性化プランコンテストを立ち上げ、昨年第2回プランコンテストも開くことができました。

 


僕は大学を卒業しますから第3回まで引き継げるかどうかは現在話し合っていますが、自分も自分が蒔いた種ですし、少しでも関わり続けられたらいいなぁと思います。

 

今年の4月には蒲郡では蒲郡市議選、10月には市長選があり、蒲郡が変わる節目の年になりそうです。

 

ますます蒲郡から目が離せません!!