三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

「減らす経済」のきざし

最近のテレビ、こんな番組多くないですか。

 

いわゆる、何かに突き抜けた人を特集する系

 

 

激レアさんを連れてきたマツコの知らない世界クレイジージャーニー、、、

あと、アメトーークの○○芸人は、芸人というそもそも突き抜けた人たちの中で別の軸での突き抜けを特集しているという点で、その先駆けかもしれません。

 

そのラインナップに加えて、フジテレビで来年から

アオハルTVなる番組もスタートするみたいです。

 

アオハルTVのホームページから番組のコンセプトを見てみると、

「『何かに一生懸命な人≓アオハル(青春)な人』は輝いています。(中略)

常に全力で突っ走っているすてきな人と出会うべく、全国各地を探し回り、唯一無二の“アオハルさん”を発掘します。」

 

って、

今まである番組とほとんど同じじゃん 笑

 

 

というわけで、

テレビ番組のラインナップを見ていても、

何かに突き抜けた人、いわば満遍なくできる人よりも、何か特定の強みを持った人を皆が求めている風潮がなんとなくわかります。

 

(確かに元々テレビに出ている人は何かに突き抜けた人ではありますが、その突き抜けポイント自体に焦点を当てた番組というものは、最近よく見られる傾向じゃないでしょうか。)

 

さて、そうした風潮は、何を表しているのでしょうか。

その奥を少し考えてみたいと思います。

 

2018年4月に、こんな記事を見つけました。

ヤマト運輸、荷物量抑制目標届かず

 

その記事には、ヤマトは2018年度の荷物量を約18億個減らす予定だと書いてありました。

 

この記事を見て、違和感を持ちました。

 

理由は何にせよ、

(多分にドライバーの人手不足問題が背景にありますが)

 

遂に「減らす」ことが目標になる時代なのか。と。

 

陳腐な言い方になりますが、成長や拡大一辺倒の価値観でやってきた今までから、

逆の価値観に変わる兆しを感じました。

 

 

まさに、「減らす」経済

 

確かに、東京への一極集中が進み、地方の過疎化がますます深刻化する中で、「人を増やす」に留まらない、新しい方向性が求められている気がします。

 

 

2018年1月4日の朝日新聞で、こんな記事を見かけました。

 

「縮小都市」の代表例として、ドイツ中央部のライネフェルデ・ボルビス市の話。

 

東ドイツ時代に作られたアパート群に住んでいた住民は、1990年の東西ドイツ統一に伴い流出。

当局は、それに対する対応として建物を一部取り壊し、部屋を間引いたり複数戸を合体させたりして近代的デザインに造り替えたそうです。

 

いわば減築

 

その結果、80年代に1万4千人いた団地は2006年には5700人に減りましたが、規模を縮小させて街をデザインし直したことで、街の再生に成功したそうです。

 

 

ドイツの減築の事例には、日本も学ぶべきところは沢山ありそうです。

 

特に地方でしょうか。

人口減少の中で、既存のインフラをいかに維持していくか。

富山市など日本各地で取り組まれているコンパクトシティは考え方としては近いかもしれません。

 

インフラの中でもとりわけ鉄道

財政破綻した北海道夕張市では、「攻めの廃線」としてJR北海道と鉄道の廃止に合意しました。

鉄道に対して自治体はふつう、存続を訴えるものですが、夕張市は積極的に廃線を決断しました。

参考:https://toyokeizai.net/articles/-/159843

 

従来型の、あれば何でもある方がいい、とか、大きい・多い方がいいから増やせよ、的な考え方は、既に行き詰まりを迎えている気がします。

 

シェアリングエコノミーとか、まさにそうですよね。

「持つ」から「共有」へ。

 

できるだけ所有を減らしてラクになろうという。

 

 

既に行き詰まりを迎えた従来の価値観が壊れつつある時代の中で、

皆が抱えている不安や、何となく感じている違和感が、

最近の「突き抜けた人がかっこいい」流れにもつながっているのではないでしょうか。

 

何でもネットで調べられて、かつ今までの常識が通用しないほどの技術革新のスピードは速い。

 

そうした中で、今までの知識は役に立たないし、知識を満遍なく持っていることの価値はそこまで大きくない。

 

それよりも、

何か一つに突き抜けて、誰よりも詳しい人の方が、魅力的に見える。輝いて見える。

自分もそういう何かを欲しい、と思って憧れたりする。

趣味を求める。

 

そうした人は、何かを「減らしている」のだと思います。

自分の好きなことのために、他のことを捨てて、没頭する。

 

冒頭のテレビ番組のように、

いわば「減らしている人たち」に人々の関心が集まっているのは、

「減らす経済」への移行が垣間見える、未来のきざしの一つなのかもしれません。