三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

万博への違和感。

2025年に大阪万博が開催されることが決定しました。

 

1970年、高度経済成長の真っただ中の大阪万博以来、二度目の開催となります。

 

めでたい事です。

2020年東京五輪に引き続き、世界を巻き込んだ国際イベントを日本で開催することになります。

 

大阪万博には、建設費で1250億円、運営費で800億円近い財源が必要になる一方で、

安倍総理は、「大阪のみならず、日本を訪れる観光客が増大し、地域経済が活性化する起爆剤になると確信している」との談話を発表するなど、経済効果への期待が大きい。

りそな銀行の試算では、2.2兆円もの経済波及効果が見込めるとのことだそうです。

 

既に存在する夢洲を活用するため投資額を2000億円規模に抑えられた一方、

経済効果はその10倍という、かなり優良な投資物件が、大阪万博といったところでしょうか。

 

 

万博は、僕自身、小学校時代に愛・地球博を経験し、小学校総出でバスに載せられて長久手まで行ったので、印象深いです。

マンモスもいましたし、自分の顔が投影される東芝館、月の映像を見る三菱館など、色々回った記憶があります。

 

その記憶から行くと、

当時小学生だった自分にとって万博は、「ワクワクする未来のテーマパーク」でした。行けなかったけど行きたかったリニア館など、新しい世界、未知の世界に触れられる、テーマパークだったのだと思います。

また、モリゾーとキッコロを始め、自然との調和が志向されたのが、愛知万博だったと思います。

海上の森絶滅危惧種の巣が発見されて計画が色々変更されたこともあったそうですが)

 

 

1970年大阪万博は、

戦後焼け野原になった日本が、高度経済成長を経て、経済大国になった。その象徴的な存在として世界やその未来を集めた「万国博覧会」を主催する。

 

テーマソング「世界の国からこんにちは」は、いわば代名詞として誰もが聞いたことのある曲でしょう。

 

日本の再建と世界への仲間入り。

そんな象徴的な意味が、大阪万博にはあったのだと思います。

 

 

ところで、日本で万博を開こうとしても、タダでは開けません。

 

当然、他国との招致レースに勝たねばなりません。

 

2025年万博には、ロシア、アゼルバイジャンが立候補していました。報道によると、アフリカ諸国への経済援助などをちらつかせ、外交・経済ルートを通じて、日本への投票を勝ち取ったとありました。

 

どのように投票先が決まるのか。象徴的な発言があります。

 

「私たちには、食べさせていかなければいけない国民がいる。投票先はビジネスライクに考えるべきだ」

 

これは、中米カリブ海の島国、セントビンセント・グレナディーンの政府代表の発言です。

 

発展途上国や、まだまだ経済力が弱い国々にとって、1票を持つことの重みは想像以上に大きいのでしょう。

外交交渉のための一つのカードとして、万博投票を使っているようです。

 

日本も、2国との招致レースを勝ち抜いて、2025年の招致レースに勝利することができました。

 

 

とても喜ばしい事です。

 

ただ、僕は今の2025年大阪万博には、僕は少し違和感を持っています

 

なぜか。

 

それは、中身がないなあと感じているからです。

 

そもそも万博は、何のためにやるのでしょうか。

 

何かテーマをもって、その象徴的意味を基に、開催するものでしょう。

 

 

しかし、毎回話に出てくるのは、経済効果など、万博の副次的な話ばかり

 

 

IR(統合型リゾート)と一緒に大阪経済の起爆剤に!

経済効果2兆円の投資!

夢洲を活用!!

 

などなど、万博の中身というより、その周辺の枝葉の話ばかり聞こえてきます。

 

 

投票国も投票国で、「経済支援を得るためのカード」として、万博を捉え、投票先を選定しています。

 

 

「万博」というものが、本来の意義から遠ざかっているような気がして、違和感を持っています。

 

結果として、「経済効果」とか、「起爆剤」とか、「外交」とか、付随的な効果も得られるかもしれないけど、

やはり、一番は万博をなぜ今、やるのか、なぜ必要なのか、の本質的な問いが最も重要なのではないでしょうか。

 

 

万博が政治的なものになりすぎてしまっていて、本来の意義から離れすぎている気がします。

 

ただ一方で、第一回国際博覧会であるロンドン万博も、大英帝国イギリスが世界の中心、最強国であることを示す効果もあったり、植民地博覧会も行われたりと、元々政治性をもったイベントであるのかもしれません。

 

 

でも、2025年大阪万博でも、もっと本質の議論がされるべきなのではないかと思います。

 

そもそも万博は経済効果のための単なる道具ではないわけですから、「万国博覧会」として、なぜ今やるのか、なぜ今必要なのか、といった、本来の意味に立ち戻って、「万博」を捉え直す必要があるのではないかと思っています。

 

そうした捉え直しが、今の日本そのものと、未来の日本を深く考えることにもつながっていくのだと思うのです。

 

メディアも、政治家も、浮かれすぎています。

 

 

2020年東京五輪、2025年大阪万博、2027年リニア中央新幹線

日本が「起爆剤」として捉えているイベントは、他にもいろいろあるでしょう。

 

そうした、単発限りの施策、いわば「劇薬」、いや、劇薬ですらない「幻想」なのかもしれませんが、

それらに頼っている限り、本当の意味での日本経済の成長には、程遠い気がします。

 

何も日本の課題の根本的な解決に繋がらない気がしていて、過度に期待しすぎな気もするのです。

 

もちろん、オリンピック自体、万博自体楽しみ!と期待するのは、僕自身もワクワクしているのですごくいいことだと思います!

問題はそうした中身ではなく、経済効果とか、「おまけ」に期待しすぎ、

華やかな「万博」というイベントが隠れ蓑になってしまっているのではないかという違和感です。

 

 

うーん、2025年大阪万博、どうなるのでしょうか。

 

というより、これからの日本はどうなるのでしょうか。