最近時々話題に出てくる言葉、「廃県置藩」。
廃藩置県ではありません。
県を廃止して、藩を置く方です。「廃藩置県」の逆です。
人によって指す意味合い、主張している文脈が違っているので、「廃県置藩」派だからどうだと、一様に捉えることはできないと思っています。
僕は愛知県出身です。
大学で上京して以来、出身地を紹介するときのお決まりのやり取りに、元々違和感を持っていました。
「愛知県出身です」
「名古屋?」
「いや、三河の方です」
「・・・(あれ愛知って名古屋じゃないんだ)。」
または、
「愛知県出身です」
「おー愛知ね、みそカツとか?尾張弁とかあるんでしょ。」
「あ、それ名古屋(尾張)、愛知の西半分の方で、僕三河の方、東半分なんですよね」
「・・・。」
このやり取り、毎回なんですよ。
何より東京の人の中には、愛知県というより、「名古屋県」だと本気で思っている人が多いことは、事実でした(笑)
何度、名古屋じゃなく、愛知です!といったことか(笑)
また、名古屋じゃなく、三河です!って言ったことか(笑)
そうなんです。
同じ愛知県でも、名古屋を中心とした西半分の「尾張」と、豊橋・岡崎・刈谷といった街を中心とした東半分の「三河」は、歴史的にも文化的にも結構違います。
名古屋市の河村たかし市長が公用でも頻繁に使用することから、時々話題に出ますが、
例えば、、、
・庶民革命を応援してちょーよ。
・いま今日はつぶやいとらんがやと叱られてまった。ワシ、まだよお分からんし、いま議会のことやらなんやらで頭がいっぱいだで勘弁して欲しいがね。
このあたりが特徴的な名古屋弁でしょうか。在名局のテレビなどでは、よく河村市長の記者会見は取り上げられますから、地元にいた時はよく目にしたり耳にしてました。
それ自体はいいんです。
でも、時々、その言葉が「愛知弁」のようにとらえられることがあります。愛知の人はみんなこうした言葉使ってんの?とか、名古屋弁じゃなく、あの「愛知弁」どうにかならないの?とか。
違います(笑)
尾張だけです。
ちゃんと三河弁もあります!
三河弁は、代表的なのは、「じゃん・だら・りん」とよく言われます。
(詳細はhttps://matome.naver.jp/odai/2143469733163888501に譲ります(笑))
それはさておき、
歴史的にも愛知は一体ではなく、織田信長の尾張と、徳川家康の三河、のように別々の歴史をたどってきました。
(ちなみにいうと、三河の中でも西三河と東三河で分かれますが(笑))
すなわち、「愛知県」とは「尾張」と「三河」という別々の国を1つにまとめている「行政区分」に過ぎないということです。
誤解を恐れずに言えば、行政の枠で区切られた「虚構」とでもいえるかもしれません。
決して「愛知弁」「愛知県民っぽさ」というものは存在しないのだと思っています。
※行政区分が長い間一緒であるために経済圏、生活圏的に似通ってくるということはもちろんありえますが、それは人為的なものだということです。この問題は、西洋列強に引かれた不自然にまっすぐなアフリカの国の間の国境や、中東の民族問題にもつながると思います。
今、地方創生、地域活性化が叫ばれています。
地方がいかに独自の価値を発揮していくか、住民にとって住みよい街を作っていくかを真剣に考えていくべき時に来ています。
僕は、地方に課題が山積であり、将来の存続が危ぶまれ始めている現在の状況を招いた一因は、それぞれの地方の風土、歴史を踏まえないで作られ、その枠組みがそのまま維持された「47都道府県」という現在の行政区分にあるのではないかと考えます。
現在の都道府県の枠組みは、1888年12月、香川県が愛媛県から分離独立して以来ほぼ変わっていないそうです。
都道府県同士の合併や、新規独立を「廃置分合」と言うみたいです。
その規則は道州制の前準備用に制定されているらしいですが、使われていないままです。
中央集権的に一律的に地方をまとめ上げることが求められていた時代には、県同士を統合し、ある程度の数にまとめて統治していく方式は効率的であったのかもしれませんが、それから1世紀以上経ち、日本人の価値観も変わり、生活も大きく変わった今、その枠組みに縛られる必要はどこにあるのでしょうか。
ないと思います。
愛知県を例に出せば、
尾張地区にある愛知県庁(愛知県名古屋市)に勤める人が、三河地区の現状なんてわかるでしょうか。三河事務所なんて、小さな出先に過ぎません。
逆も然りです。三河地区の人が、尾張地区の現状なんてわかりません。寄り添えません。
そもそも県として観光政策・文化政策をしようとしても、尾張・三河をそれぞれいい感じにまとめただけの、独自性をとがらせたものは出てきません。違う2つを無理やりつなげようとしているだけだから。
(大村秀章知事が就任して以来、東三河に「東三河県庁」を置き、三河の振興を進めているのは、いい取り組みだと思います。裏を返せばそれまでそんなことは行われておらず、問題意識があったということ)
僕の身近な愛知県だけではありません。
例えば長野県なんて、
松本市を筆頭にした南部の「筑摩県」が、長野市中心の、北側の「長野県」に、筑摩県庁が焼失したタイミングで吸収される形で「長野県」が誕生したという歴史から、長野県民としての一体性を保つために、県歌「信濃の国」が作られているほどです。
兵庫県も、民族・文化も違う国が一つにまとめられたユーゴスラヴィア連邦をもじって、「ヒョーゴスラビア」とも評されるようです。
参考:https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201808/0011576140.shtml
青森県も、静岡県も、福井県も、内部で「違い」を抱えているようです。
東京都も島しょ部や多摩地区と、23区、少なくとも都心部は一様に捉えられないと思っています。
高度経済成長の時のように、同じように働き、同じように稼ぎ、同じように成長する、そんな一辺倒の時代はとうに終わりました。
これからは、それぞれが独自性を発揮し、それぞれの価値を作り出していくことで、新しいイノベーションを起こしていくことが必要だと思います。
そう考えた時、
それぞれの地域の実情を把握し、それぞれの地域に合った政策を実行していくためには、その地方の歴史や実情を無視した都道府県という今の行政区分は、少し窮屈な気がします。
「道州制」という都道府県の上の区分のことを議論する前に、そもそも論として、「都道府県」の単位自体の見直しをするべきだと思います。
ちょうど、面白い取り組みを見つけました。
三重県の南部のかつての県を復活させるプロジェクト「度会県プロジェクト」です。
こういった、既存の都道府県にとどまらない動きがもっともっと出てくると、全国的に盛り上がるのではないかなと思います。
僕もこういう仕事を創っていきたいと思っています。
(ただ、既存の秩序に挑戦しすぎてもアナーキスト的になり、危険人物扱いされるかもしれませんが(笑))