三男日記

愛知県蒲郡市出身、今東京におります三男です。日常や社会について思ったことを書いていこうと思います。基本、空論・評論です。自分の勉強も兼ねてやってます。

リモートワークを疑う。

コロナ禍を通じて、リモートワークが当たり前のものとなりました。

とりわけ、1回目の緊急事態宣言の際に、急速にリモート化の動きが進みました。

 


リモートワークを導入していること、出社率を抑えることは、その企業が過去に囚われず新しい日常に適応しているかどうかのリトマス試験紙になる一方で、

リモートワークを促すことは感染拡大に対する企業としての責任となっていると思います。

 


採用の面から言えば、リモート面接をそつなくこなしている企業は、ある種"先進的"と見られる、

または、

そもそもリモートを導入できてない企業は就職先の候補にすらならないということなんでしょうか。

 


多くの企業では、そうした潮流に則って、新しい働き方としてリモートワーク導入を進めたと思います。

 


省庁では、リモート率を測る際にだけ出社を抑えたようですが。笑

 

参考:飲み会とテレワーク

https://gm-fk20.hatenablog.com/entry/2021/05/24/234851

 


正直にいうと、僕は当時、リモートワークを導入できていない企業は古いと思ってました。

対面じゃないとコミュニケーションできない、と言っているのは、言い訳だと思ってました。

 


だけど、今、そうしたリモートワーク化からの揺り戻しとして、世界的にオフィスへの回帰が始まっています。

 

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN11ENE0R10C21A5000000/

 


JPモルガンのジェイミー・ダイモン最高経営責任者(CEO)は4月、「株主への手紙」で弊害を列挙した。多くの金融専門職は上司や同僚との作業を通じて仕事を学ぶ。ダイモン氏は「(ビデオ会議システムの)ズーム中心の世界では再現できない」と指摘。長年培ってきた企業文化を弱らせると述べた。顧客を訪問し、自社商品やサービスのフィードバックをもらう機会も失われているという。

 

 

ゴールドマンのデービッド・ソロモンCEOら経営陣はオフィス復帰を通知するメモで「協業やイノベーション、若手が上司から学ぶ文化は社員が一緒になってこそ、うまく機能する」と呼びかけた。同社では若手社員が在宅での激務に不満を表明し、ソロモン氏が改善を約束していた。

 


と、多くの企業で、オフィスへの回帰が始まっています。もちろん、こうした背景には、ワクチンが一定程度普及して、オフィスで働く事のリスクが減少したことがあるとは思います。

 


ただ、ここから言える事は、

どんなにリモートワークしないといけない!という社会的風潮があったとて、本当に大事なもの(上でいうと社員同士のコミュニケーションや育成など)を守るためには、周りにどんなふうに思われようとも、意志を貫くべきなんだということです。

 

リモートワークは新しい働き方ではあるけれど、あくまで手段。

 

コロナ禍だからリモートワーク、と絶対的なものとして考えず、リモートワークではただ実現できないこともあるという限界にもしっかりと目を向け、"頭を使って考える"ことが必要でした。


リモートワーク=新しい働き方、という潮流にとらわれ、本質を見失っていた自分を恥じました。

 

※「絶対」に近い潮流に出会ったら、要注意でしたね。。。

 

参考:「絶対」を疑う

https://gm-fk20.hatenablog.com/entry/2019/01/05/233635

ルールは破るために、守る。

 

今日は会社の上司から言われた一言が印象的だったので、その話です。

 


とある社内のルールがありました。

 


そのルールに対して、僕は守らないといけないからどう振舞えば良いか?と相談する立場だったのですが、上司にそんな僕の態度を叱られました。

 


僕としては違和感がありました。


いつも経費のルールや朝の点呼などには厳しい態度を取る上司です。ルールなんて守って当然だ、という姿勢なんだと思ってました。

 


けれど、言われたことはこうでした。

(僕の解釈が入ってるので必ずしもこの通りに言われたわけではないです)

 


いつも経費とかのルールは守れって言ってるけど、守るのは、ルールを破るためなんだよ。ルールなんてそもそも破るためにあるんだから。

 


聞いたその時、ハッとしました。

 


ハッとしたポイント①

ルールは破るためにある

 


ルールはそもそも破るためにある、とは冗談で言われることですが、上司が言っていたのはこういう趣旨でした。


「俺らの仕事なんて、正論で返しちゃいけない仕事。ルールを指摘することは誰にだってできるけど、そのルールのもとでどうするか?どう抜け穴を見つけるかの別解を見つけることで価値が出るから。

 


少し極論かもしれませんが、その通りでした。ルール自体をどう捉えるか?ルールの中でどう"勝つ"か?をしっかり考えないといけないなと思いました。

 

以前、尊敬する先輩に言われた、

「本当の頭のいいやつは、できないことを見つけるんじゃなくて、できるためにどうするか考えるやつなんだ」

という言葉と重なります。

 


ハッとしたポイント②

ルールを破るために、ルールを守る

 


最初聞いた時一瞬よくわかりませんでした。


が、よくよく考えたら、こういうことでした。(だと解釈しました)

 


ルールは破るためにあるものですが、破るためには、ルールのことをよく理解していないといけません。


そのルールをよく理解するために、まずはルールを守ってみる。そこからだということだと思います。

 


志村けんも、こういっています。

 


非常識なことをするためには、常識を知らないといけない

 

 

 


以上①②。

 

ルールを破るためにルールを守る事の重要性を今日教わって、ルールに対する考え方が変わった、という話でした。

(解釈が違うかもしれませんが)

高橋洋一内閣官房参与辞任に思う。

内閣官房参与高橋洋一氏が参与の職を辞任されました。

 


原因は日本のコロナウイルス感染拡大の現状を「さざ波」「屁みたいなもの」と表現したことを批判されたようです。


https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210524/k10013048831000.html

 

 

 

公人だから、感染者を冒涜するようなことを言うのはおかしい、ということでしょうか。

 


まあ、「内閣官房参与」という肩書きだけ聞いたら、「おいそんなこと言うなよ」とはなるかもしれませんね。

 


ただ、"ちゃんと"見てみると、何も間違ったことは言ってないし、表現も問題ないと思うんです。

 

f:id:fujikei0720:20210527022001p:image

 

f:id:fujikei0720:20210527021954j:image

 

 

「さざ波」と高橋氏が指していたのは、

あくまで感染者の数を世界比較すると、

ということであって、事実感染者は世界各国と比べてもめちゃくちゃ少ないです。

(事の本質は、それなのに医療崩壊している日本の医療構造と過度なコロナ自粛による経済の萎縮にあるのだと思います)

 


グラフはそれを指しています。

 

その上、言いたい趣旨としては「オリンピック中止を日本から言うのは少し筋違いじゃないか?」という事であって、事実その通りだと思います。


ただ、今回反発している人は、すごく感情的に反発しているような気がして、理路整然と主張するこの言い方が許せないんだと思います。

 


今回の問題はただそれだけです。感情的な反発。

 

実際、高橋氏はコロナ禍を軽視しているわけではなく、当初から大量の財政出動や経済支援を主張しており、他の評論家よりも、深刻に事態を捉え寄り添っていたはずです。

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72352?page=1&imp=0

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-11-27/QKCUUPT1UM0X01

 


「さざ波」の発言で、貴重な頭脳を公の舞台から退場させるとは。。。

 


こんな言葉狩りみたいなことしてたら、公職に就こうとする人がいなくなってしまいますよ。高橋氏は無報酬でやっていたのに。。。

 


不倫問題もそうですが、公人に対して完璧を求めすぎている気がします。

 

誰にとっても聞こえがいい言葉で、誰にとっても感じが良く振る舞うこと。

 

いや、そんな奴おらんやろ。笑

 


今回の批判は、主にリベラル系(日本で言うと左派みたいなイメージ)からの主張が多かったようですが、

井上達夫元東大教授は、

リベラリズムとは、他者に対するフェアネスです。自分が他人に対してやっていることを、もし自分が他人だとしても受け入れられるかどうか」と述べています。

 


高橋氏の発言を批判するなら、まずはちゃんとその趣旨を理解しようと努め、過去の発言なども見た上で"ちゃんと"批判すべきじゃないでしょうか。

 

自分が逆だったら、言葉尻だけを捉えて批判されたら嫌でしょう。。。

 

参考:

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83186?page=1&imp=0


完璧主義みたいなところでいうと、日本は減点法が過ぎる気がします。

 

目立つ人に対して、ちょっとダメな点があったらすぐ足を引っ張りたがる。

 

けれど、世の中を前に進めていくためには、加点法で、いいところはいいよね!も認めていかないと、日本はこのまま進歩しないままズルズルと後退していってしまいそうです。

 


ここで菅総理が、「高橋洋一氏の発言は、あくまで事実を元に述べているだけであり、冒涜する意図はないものと認められるため、辞任の必要はないと判断した」みたいに守ってくれたらカッコいいのになぁ。


そんな社会になったらいいなぁ。。。

巨大な総務省

昨日のニュースでは、しれーっと幕引きが図られていましたが、、、


総務省接待問題です。


https://www.asahi.com/sp/articles/ASP5S5VQHP5RULFA00C.html


調査の結果、東北新社とは、合計54件の会食があったことが認定されました。

 


ただ、この件が氷山の一角であることは明らかだと思います。

 

この件をめぐり辞職した谷脇元総務審議官は、当初「東北新社以外からは違法な接待を受けていない」と回答していましたが、NTTによる接待が最終的に発覚しました。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/89450

 

 

この件、20世紀末の大蔵省接待事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)では、最終的に大蔵省改革の議論につながりましたが、今回はあまり盛り上がらなかったようです。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大蔵省接待汚職事件


一説には、大蔵省接待の場合は、癒着して規制を骨抜きにしていたという大きな課題があった一方で、そもそも総務省は通信料値下げなど、国民側に損な政策をしていなかったから、という視点もあるようです。

参考:https://diamond.jp/articles/-/265924

 


ただ、世論が盛り上がらなかった(=世論に火をつけられなかった)理由としては、

やはり放送業界と総務省の癒着が1番大きいのではないかな

と思います。

 


マスメディアとズブズブなんですね。電波の放送免許をめぐって、放送局も新聞社も、総務省とズブズブ。


https://biz-journal.jp/2021/03/post_213651.html

 

 

だから、強く書けないんだと思います。

 

見事なダブルスタンダードでは。。。

 

 

と言う前置きはさておき、

僕は、この件、本来であれば、この接待事件を奇貨にして、総務省解体まで踏み込むべきなんじゃないかなと思っています。

 


総務省はそもそも、地方自治を担う旧自治省系と、通信行政を担う旧郵政省系、行政評価を担う旧総務庁系の3つが混在しているコングロマリット省庁です。


今思えば意味わからんのですが、

採用の時も、「総務省」採用ではなく、「総務省自治系」と「総務省通信系」などに分かれており、全く別で採用されていました。

 

同じ省なのに!


事実、総務省の同級生に聞いた話ですが、総務省内ではお互いのコースの人とは人事が全く別。そのうえ、人事交流が少なく、あるとしても、お互いがお互いの部局にポストを持っている、だけに過ぎないそうです。

(自治系が郵政系の課長補佐ポストを2つ持っている、みたいな話)

 


確かに、総務省の幹部一覧見たら、ややこしい。笑

https://www.soumu.go.jp/main_content/000742529.pdf

 


まずそもそも谷脇元総務審議官が総務省のナンバー2、と評されていたことも、本来大臣の下のナンバー2である事務次官がいることを考えるとおかしいのですが、その総務事務次官の下に、ナンバー2の総務審議官が3人もいる!!

 


これは、自治系、通信系、行政系の3つのコースでそれぞれ次官級の総務審議官がいて、その上に、総務事務次官がいる、という構造になっていることを意味します。

 


現在の事務次官は、自治系。

(ポストは3つの人でたらい回しにしていますが、規模的に自治と郵政が多いです)

 


だから、本来であれば官僚のトップは事務次官なのに、今回の問題では事務次官は全く出ず、谷脇元総務審議官以下、郵政系の人が処分されています。

 


ガバナンスとして、総務省はバラバラっちゃバラバラなんですね。ケルベロスみたいな構造。

(それぞれのコースごとでは統制は取れているのかもしれませんが、そんな話はまた別。総務省としての統制は取れていないのだと思います)

 


国会答弁では原邦彰総務省大臣官房長が矢面にた出されていますが、原官房長は自治系なので、わからない部分も、実態としては多いはずです。。。

 

 

 

今回、総務省の中でも通信部分だけにめちゃくちゃ着目されていましたが、そもそも総務省の組織としての異常さにも、もっと着目されるべきなんじゃないかなと思います。

 

どう考えても巨大すぎる。


癒着はもちろんダメですが、省として適正な規模で、適正な人事体系がないと、省としてガバナンスが効かせづらいと思います。

 

(大臣1人で3つの領域を見るのには限界があって、否応なく総務審議官を頂点とする官僚が力を持ってしまう構造になりかねません。)

 

 

接待問題の原因がガバナンスの欠陥とまでは言えないと思います。

 

ただ、総務省の巨大さとそれによる政治による管理の行き届きにくさは確実にあるはずなので、まずは総務省を解体して、別々の省庁にすべきだと思います。

 

 

飲み会とテレワーク。

なんか、今のコロナ禍の世の中は、みんながきれいごとを、わかってて敢えて言ってるような感じがして、さぶいです。

 


例えば飲み会


一応、緊急事態宣言下で酒類の提供はストップ。ということは、外に飲み歩くな、ということだと思います。

 


でも、結局そんな措置は今や軽んじられている感があり、

「偶然会った」体で飲み会やってる人なんかざらにいます。

 

休業要請に従わない店もなんだかんだでたくさんあります。

 


気の緩みといえば、気の緩み。

でも、その根本には、みんな飲み会くらいいいでしょ?っていう意識があると思うんですね。

 


実際、厚労省の職員も大人数で送別会をしていましたし、大阪府市の職員も飲み会してました。

 

https://mainichi.jp/articles/20210427/k00/00m/040/291000c

 


僕個人としては、別に飲み会するくらい、いいと思ってますよ、感染防止に気をつけていれば。

 


でも、なんかむなしさを覚えるのは、「やめましょう」と呼びかけられている側が「そんなの無理だよ」でルールを破ってしまうのはわからなくもないけれど、

せめて、呼びかけている側は守るべきではないのか?ということです。

 

(飲食店の皆さんには少なくとも我慢をお願いしてるわけで、正直に店を閉めてる人が損をして、開けてる人が得をするなんておかしいし、それを呼びかけている側がやってるのはもっとおかしい。)

 


ルールがおかしい、バカバカしいなら、最初から出さなければいい。送別会だってみんなしたいのに。

 


コメンテーターも、結局深夜まではしご酒。


https://www.chunichi.co.jp/article/236306

 


危機感煽ってた医師会長もパーティー


https://www.jiji.com/sp/article?k=2021051200925&g=pol

 


なんだかなぁ。。。笑

 

ホンネとタテマエがキッパリ分かれてる感じが、すごく違和感があります。タテマエ発言が空虚に聞こえる。

 

 


そしてテレワーク


国は7割のテレワークを民間に求めておきながら、省庁のテレワーク率は高くはありません。

 


西村大臣の部署に至っては、ゼロ。


https://www.jiji.com/sp/article?k=2021031500802&g=soc

 

しかも、ある省庁では調査日に合わせてテレワークを増やしたなんて、しょうもなすぎる。


https://m.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60a5d018e4b0d56a83e542a3

 

 

省庁では、テレワークに必要なシステムが整っていなかったり、国会答弁で出勤が必要だ、という理屈はわかります。

 

わかりますけど、民間企業も一緒なのではないでしょうか。大事なプレゼンや、社内会議もあるのは全く同じ。

 


でも、そこにお願いをしている分、ちゃんと率先してテレワークをやるべきだし、できないならできない理由をしっかり明示すべきです。

 

裏でこそこそやるんじゃなくて、堂々としましょう。せめて。


※念のため付言すると、別に僕はテレワーク促進派ではないです。

 

 


飲み会とテレワーク

 


なんか、コロナ対策にみんなが力が入らないのは、そういうホンネとタテマエに気づいてるから、そのバカバカしさを感じてるからじゃないでしょうか。


ホンネじゃないタテマエの対策なんか、やめてしまえばいいのに。

 

 

※念のため付言すると、僕は感染予防ができているなら、飲み会もやっていいし、テレワーク無理してしないでも良いと思っています。

オリンピック、やりましょうよ。

朝日新聞の4月の「オリンピックを開催すべきか?」という世論調査によれば、中止が35%、延期が34%、今夏に開催が28%だそうです。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASP4D6GW7P4DUZPS004.html

 


マスコミのニュース的には、「今年のオリンピックは中止すべき」が約7割となり、今年は中止だ!という意見が中心を占めているように見受けられます。

 

 

これ、どうなんでしょう。


今年のオリンピックをどうすべきか?ということに関しては、大きく4つに分かれると思います。

 

「やるべきなのか?中止すべきなのか?」という視点と、「やれるのか?やれないのか?」という視点。

 


A.やるべきだし実際やれる

B.やるべきだけど、やれない

C.中止すべきだけど、実際はやれる

D.中止すべきだし、実際やれない

 

 

 

僕は、誤解を恐れずに言えば、Aです。

 


やるべきだし、実際やれるんじゃないかなと思います。(あくまで個人の意見)

 

 

まずやれるのか?という点から考えたいと思いますが、やれない理由として挙げられるのは、医療体制です。

 


医療体制については論点が2つあって、

来日する選手やオリンピックが感染源になることはないのか?という点と、

オリンピックというスポーツの大会に必要な医療スタッフが足りるのか?という点 

があるかなと思います。

 


1つ目の点から言うと、これはIOCが表明している通り、ワクチンが提供されます。これは大丈夫でしょう。

https://jp.wsj.com/articles/pfizer-biontech-to-donate-covid-vaccines-to-tokyo-olympics-athletes-11620322061

 

 

 

2つ目の点は、スポーツドクターと看護師が足りるのか?ということだと思います。

 


コロナで医療体制が"逼迫"している中でオリンピックに人を回していいのか?ということもありますし、

ワクチンではなくこちらに回していいのか?という

2つの主張があると思います。

 


前者に関しては、足りてるように思えます。

 

逼迫しているのは、コロナを受け入れ可能な病院の体制(スタッフ)が逼迫している、ということで、他の診療所のスタッフ(免許保持者)は余裕があるのではないかと考えます。


実際、組織委員会のスポーツドクターの募集には、200人の募集に関して、280人の応募があったようです。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASP5D3DVWP5DUTQP00C.html

 

看護師に関しても、民間会社の協力を得ると、8割程度は目処が立っているようです。(事実どうかは知りませんが) 

※足りない2割は、厚労省が規制を緩和し、海外人材の活用を認めるとのこと。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72172770S1A520C2EA1000/

 


※日本での医療崩壊の本質は、コロナ患者を受け入れられる規模の病床が足りていない、ということであって、その他の中小の民間病院の方は、コロナ患者をそもそも病院の体制として受け入れられないところがほとんどなので、受け入れない医師の方が悪いとは言えないですし、そうした医療従事者の方が"崩壊"しているわけではないと思っています。

 


※万が一、熱中症で倒れたりした場合の救急搬送先については、現状の搬送の通りで問題ないと思います。病床数のキャパとしてすぐ運べない、という問題はありそうですが、組織委員会としては東京都内の病院への搬送を想定しているようです。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72172770S1A520C2EA1000/

 

 

 

さて、ただこの確保できているからといって、実際に五輪に人材を回すかどうかは別問題。

その点は、後者の点(ワクチンより五輪を優先すべきか)に関わっています。


この点に関しては、僕は「やるべきかどうか」の議論と同じ議論になると思っています。なぜ五輪を優先すべきか?ということなので。

 


で、五輪をやるべきかどうか?という論点ですが、僕は、やるべきだと思います。

 

 

今の五輪批判には、森喜朗組織委員会会長への批判や、佐々木宏氏のLINE流出などの不祥事も重なったことによる悪印象がかなりベースにあると思っていますが、

批判の根本には、「スポーツは商業主義じゃない。お金儲けのためにするな!」といった、ある意味で拝金主義の権化とされてしまったオリンピックそのものへの批判があるようにも思えます。

 


ただ、それに関して猪瀬直樹都知事が言っていますが、

「“商業主義”という言い方をする人がいるが、当たり前だ。ビジネスに決まっている。マイナーな競技の人はオリンピックがなければやっていけないわけで、むしろいかに商業的に成り立つかということを考えるのが大事だ。」

 


(錦織選手の五輪批判に対する意見も、一理あり、なるほどなと思いました)

https://times.abema.tv/news-article/8651730

 

実際、春の高校野球も、各地で行われるプロ野球も、大相撲も同時並行で開催できている中で、オリンピックだけなぜ中止しないといけないんでしょうか。


オリンピックは、スポーツ選手にとって4年に1度の、しかも世界の中で自国で開催されることが人生で2度とない機会です。少なくとも4年前・5年前、もっと前から目標に掲げ、人生を捧げて準備していた人も多いと思います。

 


僕は、オリンピックは特別だと思います。もっと、選手を応援して然るべきだと思います。

 


選手に

「アスリートとしてはやりたいです。人としてはやりたくないです」
「アスリートとしては賛成だけど、一国民としては反対という気持ちです」


こんなこと言わせるなんて、今の日本はなんかおかしい。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/2020news/special/article_20210126_01.html

 

 

ただそうは言っても今年やるべきなのか?という話になると思いますが、国際公約として今年やると言った以上、やるなら今年しかないので、オリンピックは今年やるべきだと思います。

 


(そもそも2年延期すべきだったのでは?という話もありますし、それは僕も思います。

しかしながら、欧米諸国や世界と比べて感染者数が少なく、日本の民間病院が中心となっている特殊な医療体制で、その感染者数でさえ医療崩壊を起こそうとしている現状では、日本の中止理由は、やむないものではないと思います。五輪は今年で延期すべきではないと思います。)

 

 

やるにしても、無観客でやればいいし、テレビでみんな応援すればいいです。実際ほとんどの世界の人はテレビで見るんですし。

 

 

選手の皆さんの活躍は、このコロナ禍の中で、確実に、みんなに勇気を与えてくれるはずです。日本で見るオリンピックを楽しみにしている高齢者の方もいると思いますし、僕の親も実際そうです。

(僕も小さい頃に見たオリンピック水泳の選手の活躍は今も鮮明に覚えています。家族でテレビを囲んだ瞬間の興奮は忘れられません)

 


オリンピック批判に、政府のコロナ対応への無策が結びついちゃってるから、ちょっと不利になってる感じがあります。

 


そういう視点を抜きにして、東京オリンピックは、やりましょうよ。。。

 


中止、じゃなくて、「どうしたらできるのか?」という視点で、もっと政府もコミュニケーションすべきだと思います。批判するのは簡単ですし、他人事だからネタとしては"面白い"。

 

「みんなで五輪を成功させるために、感染予防しましょう!」

それでいいと思うんです。外出も控えたり、マスクもしっかりして。

 

 

だから、日本国民という開催国の当事者として、いちファンとして、、、

 

オリンピックは、やれるし、やりましょうよ!!!(そのために感染防止頑張りましょうよ!!!)

首長のワクチン接種はアリか?

三男日記が休業している間に、ワクチンをめぐって、色々揉めています。


首長がワクチンを優先接種したことが、問題になっています。

 

https://www.jiji.com/sp/article?k=2021051401209&g=soc

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/104287

 


めちゃくちゃ叩かれてる。(とされている)

 


いや、でもこれおかしくないですか?誰が反対するんですか?笑

 

僕は首長が打って何が問題なのか、という姿勢です。

 

以下、反対派の理論に沿って、考えてみます!


反対派の理論①

「なぜ首長が優先されるのか?」

 


まあ、多くの場合、優先というよりも、キャンセルワクチンを打っただけですからね、、、

 


スギ薬局の事案とはまた異なりますし、、、

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2105/14/news138.html

(スギ薬局の事案が悪なのかというのはまた議論ですけど!)


余ったワクチンを、いちいち優先順位に沿って案内してたら、有効期限きちゃいますよ、、、

 


高齢者は既に日程を予約してるんだし、いちいち早く打ってくださいと募集して、仮に集まったとしてもその人のまた予約を変えたり、その予約を埋めるために別の人を集めないといけなくなります。それもまた職員の方の作業が発生する。

 


よりも、その場の判断ですぐ打てる人に打った方がマシでしょう。誰であれ。

 


反対派の理論②

「誰かが打たないといけなかったのはわかった。でも、首長は優先接種の順番に入ってないはずだ」

 

https://www.mhlw.go.jp/content/000756892.pdf


確かに、厚労省が定めたワクチン接種の優先順位の考え方によると、

医療従事者、

65歳以上の高齢者、

基礎疾患を持っている方または高齢者施設で働く方、

そしてその他、

というように定められています。

 


(そもそもこの「考え方」にどれほどの有効性がるのかは議論が必要なくらいのテーマですが、一旦措いておきます)

 


たとえ、もし余ってこの優先順位に沿って集めてたら、有効期限来てしまいませんか?

 


それより、すぐ打てる人に打った方が無駄が少なくなります。その中でも優先順位が高いのは、現場で指揮を取る首長や幹部であることは間違い無いと思います。

 

そう考えると、今度は次の反論が、、、

 


反対派の理論③

「首長や職員幹部が打つなら、教員や職員など現場で頑張っている職員がいるわけで、その人より優先して打つのか?」

 


うーんと、でも、キャンセルワクチンを誰でも打てるとして、じゃあすぐ打てる(融通の効く)役所の職員に打つとして、平等に打つべきってことなのかな、、、?

 


明らかに、幹部が先に打つべきではないでしょうか。

 

いくら現場が優秀とはいえ、指揮官が倒れたら、話になりません。

 

とりわけ、首長がコロナウイルスにかかれば、その影響は甚大です。(そういう代替不可能な首長が選ばれていると信じたい)


影響は、単に指揮官がいなくなるというだけではなく、指揮官と密に議論する幹部陣にまで影響が及びます。指揮官が感染してしまうことは、間接的にも影響が大きいと思います。

 


そういう指揮官層がワクチンを打つことには、そもそも価値がある。誤解を恐れずに極論言えば、高齢者1人の命を救うのか、高齢者5人の命を救うのか、というぐらい、価値がある。

(だって、選挙で選んだ首長が判断した結果誰かの命が犠牲になるよりも、首長の職務代行者で選挙で選んでいない副市長(副町長、副村長)が判断した結果誰かの命が犠牲になるのは、民主政治的な納得度は違いますよね。)

 


と考えると、職員陣の中でも最高指揮官である首長、またその意思決定を助ける幹部陣は打つ意味があると思います。

 

そもそも、キャンセルじゃなかったとしても、医療従事者と同等くらい、指揮をとる首長や幹部は打つべきだと思ってますが。

 


①〜③より

 

うーん、反対してる人は、なんで反対なんだろう。

 


ただ、結局首長のキャラにもよる気がしていて、この人なら打ってもいいよ、と思われるくらいの首長にならないと難しいのかなとも思います。

 

(民主的な正統性って、単に選挙だけじゃなく、世論が多分に影響しているはずですし。)


まあ、というか、そもそも地元では問題になってすらないものを、在京メディアが取り上げてるだけ、な気もしますけど。。。

 


アメリカは、物量作戦でワクチン接種を進めているようで、日経新聞によれば、ある程度間違いがあっても打つことを優先しているようです。日本はわずかなミス(重複とか)もすぐ批判に。。。

 


自衛隊の大規模接種の偽予約問題じゃないけど、こんな有事にもかかわらず、わずかなことをあげへつらってたら、戦争には勝てないよなぁ、、、